オープン3周年によせて これからもロマンチック主義でいく。
石の上にも、と言いますがとうとう開店3周年を迎えました。
このコラムのページを開くのはおそらく約1年ぶり、
「何より夫が大事」のタイトルの横にアップデートマークがそのままだったことにも驚かされましたが
よくこんな事堂々と書いてるな、とあきれる反面、やはり人間そう簡単に変わらないよ、と思いましたね。
この1年の出来事で印象強いことは、同じ三鷹の私の大好きだったあるお店が閉店してしまったこと。
閉店の時にお店に伺うと、その店の歴史年表みたいなものが壁に貼られていて、
とても胸が熱くなったこと、今でも昨日の事のように思い出せます。
経営者の方は福祉関係に携わってこられた方だったこともあり、
さまざまな企画を通して、社会的に弱い立場の方や、またその周辺の人たちへの窓口のような
役割もお店が果たしてきたかのような印象を受けました。
私にはできない事だな、と痛感しました。
私は私の出来る形でやっていくしかない。文学で伝えていくしかない。
その可能性が実感できる事もこの1年でいくつかありましたし。
そして3年が過ぎた4年目、もっと目に見える形にしていきたい。
まずは季節ごとに太宰治作品自由研究会のスタート。
どんなものになるかまだ手探りですが、「自由」を基本にしてみたい。
そして私は今年、最後の太宰と同い年になる。
太宰の事ならあの人に聞いてみよう、という理想の像には今の私は程遠いですが、
ひとつの人生かけて取り組む覚悟はできていますよ。
ものすごくオリジナルで偏ったものになるかとは思いますが。
その理想に1歩ずつでも近づいていくことが目標かな。
成長した、というわけでは決してないと思うけれど、1年前のコラムを読んで少し驚いた。
38歳にもなってよくこんな買い物依存症してたわね、と。
単に昨年より無駄遣いできない状況、というのは抜きにして、
少なくとも今の気分は「また可愛い服買った!ハッピー!でも安いし、今はちょっと余裕あるし大丈夫」ではない。
なんて私っておめでたい奴なんだろう、それに今余裕ないし・・・
可愛い服くらいでハッピーになれないわよ。ってのも醒めすぎか、
でもこういう自分のすごいバカっぽさが、時にお客さんを安心させる事もある。
「太宰治が好きで京都から引っ越してくるくらいだから、
もっと思いつめたかんじの人かと思ったら全然違いますね」と。
あと取材の記事内容などを読んで、店の開店事情をある程度把握してから来店いただく事が増えたかな。
この1年間でもっともよく言われたのが
「ロマンチックな人生を歩いてこられたんですね」でした。
たしかにそうかもしれない。でもそれはこの能天気さというか、バカっぽさあってのもの。
現実的な事を考えたら、これはたしかにできないな、と思う。
桜桃忌の朝に、太宰の墓前で初めての出会い、それが現在の夫、
その次二度目に会った時からいきなり私の京都のマンションで同棲生活、
私の両親の訪問時、洗濯機の中身チェックで(今思えば母グッジョブ)同棲がバレた事をきっかけに結婚、
京都から三鷹へ引越しし、フォスフォレッセンス開店、
たしかにすごい人生かもしれない。 なんてロマンチックな人生、
じゃあもう自分オリジナルな、その部分を認めてあげて突出させちゃえばいい。
これからもきっと超ロマンチック主義なんだろうと思います。
今までの人生、常に恋ひとつで動いてきた人間ですから。
25歳で大学に行ったのも憧れの人に近づきたいからだったし、
太宰治への熱病再燃=現在の夫への熱病から、だし
こういう時の情熱って、自分でも今思えば信じられないような行動をとるんです。
傍から見ているとものすごく危ういらしいです。でもそういう時の自分、嫌いじゃない。
私はそういう業を持って生まれてきたようだし、これからもそうなのでしょうね。
世のため、人のためとして行動していける人と、自分の情熱ひとつで突き進んでいくいく人と、
それぞれが自分のとるべき道を早く知ることが幸せなら、私はもうこれでいくしかないと思ってます。
さっき昨年の自分を、可愛い服に夢中になれるおめでたい奴、と表現しましたが、
太宰治への熱病だけは、冷めるどころかますます燃え上がるばかり。
研究の方は正直この1年ほとんど進みませんでした。
でも、「生前の太宰はこんな人だったらしいよ」って話をたまにお客さんからお聞きする
ことがあると、本当に嬉しいし、皆さん共通して「太宰さんは優しい人だった」と言う。
この三鷹でたしかに生きていた太宰治という人に直接触れた人の声を集め、
その優しい太宰治、を追及していきたい。
この1年でもそれ以前と同じように、太宰治の話をたくさんのお客さんとできた、
私がそんなに詳しすぎる人でなく、ただの思い入れの深いファン、だからこそ
本音で話せる、という人もいた。
お店の伝言ノートに、さりげなく自分の思いを書いてくれる人もいた。
また「私が太宰治の店をするはずだったのに」と嫉妬むきだし(あくまで冗談ぽく、でしたが)の女性もいた。
そういう私も、若くて美しい女性が、「太宰治の事、好きなんです。実際に居たら告白してますね」
なんて言われると、すごく嬉しいと同時にかすかに嫉妬してしまう。
みんながみんな、私の太宰、と思ってる。
死んでるからこそ妄想の果ては限りなく広がるし、やはり弱いものの気持ちをわかってくれそうな人だし。
何度も日記に書いてるけど、そういう意味では太宰は死んでないから。
もしかしたらフォスフォレッセンスのライバル店が出来るかもしれない。
もっとメジャーな太宰作品のタイトルの店。「人間失格」とか。
あるいはもう「太宰治」をいっそ店名にしちゃうとか
私よりもっと太宰のそばで、フォスフォレッセンスよりもっと広くてお客さんがゆったりとできて
若くて美しい女性店主で・・・ああー、考えただけで応援と同時に嫉妬してしまうでしょう。
でもきっと同志というか、深い愛情をその女性に抱いてしまうでしょうね、
この三鷹で切磋琢磨しあっていけるかもしれない。
それに女性たちに嫉妬させて成長させるのは太宰の得意技でしょうし、
ちゃんと地雷踏まない女性を彼は選びますからね。
私もそのひとりに選ばれた、とせめて思いたいから
最初に戻って石の上にも3年を通過した今、
より大きく、ロマンチックに、バージョンアップしていきたいですね。
どうか皆様、神様、太宰さん、見守っていてください。
2005年2月5日
コラムに戻る