太宰婚秘話

「運命の人」というものが存在するのならば、1999年の6月19日。太宰の墓前で出会った相手が
私にとってそうなのでしょう。正確にはもっと前なのですが・・・

あれから13年の月日が経ち、時折お客さんに「桜桃忌に太宰の墓前で運命の出会いをされたのですよね」と
話しかけられる。その時の表情がとても明るいので、ロマンチックなエピソードを作れて心から良かったと思う。

ただ、中には「墓前で目が合った瞬間に結婚を決められたそうですね!」と、少し実際と違う内容になっている事もあり、
こちらとしては、目がハートになって話してくださるのでちっとも悪い気はしないのですが、
一度事実を書き記しておく方が良いと思い、10周年によせてのコラムとさせていただくことにした。


2010年の新潮文庫の広告。勝手にそのひと組代表として、イメージ映像に使わせていただきました。
やはり出逢いが生まれる桜桃忌は、雨が似合うのですね・・・


1999年、京都。パソコンを購入してからまだ間もない頃、「太宰治」と検索してみた。
そこで夫のHP「HUMAN LOST」を発見した。(今はもうありません)インターネットというものの凄さを初体験した。
しばらくはこれを見る楽しみでやり過ごせるような気がして胸が躍った。
彼は自分の写真を公開していた。影のある美青年風な雰囲気があって、私はますます彼の創造する世界に惹かれていった。

その頃の私はアラサー書店員。独身。嵐山のマンションでひとり暮らし。
太宰の世界とは少し遠ざかっていたのですが、HPで太宰好きの人と交流していくうちに、また再読し始めていた。
まだHPを持っている人は少なかったその頃、太宰治関連のHP3つが合同で桜桃忌オフ会を行う事になった。
人生二度目の桜桃忌(最初は学生時代に単独で参加)に参加してみたくて東京へ行く決心をした。
内心、彼に会ってみたい気持ちが大きかった。

まだ実際に会っていないのに、ネット上のやりとりだけで恋してしまう気持ち、よくわかってしまう。
そして実際に会った瞬間、「なーんだ、写メマジックなの」とガックリしてしまう気持ちも同様に。だってどちらも実体験者だから(笑)

6月18日の深夜から夜行バスで向かう私の心は、RR君(彼のHN)に会える嬉しさで溢れていた。
会う前からもう恋が始まっていたのだった。
そして運命の6月19日。早朝。まだお店が開いていないのでそのまま東京駅から三鷹に向かう。
三鷹駅で下車してもお店が閉まっていて禅林寺まで向かうしかなく、小雨の中ただ歩く。

門の前に立った時、なぜかカンだけは鋭い私は直感しました。ここに彼はもう来ている、と。
太宰さんには申し訳ないですが、この時の私は彼の事で頭がいっぱいでした。
そしてその直感は当たっていた。

地下道をくぐり、水道のところを左へ曲がれば答えは出る。一人の男性のシルエットが見えた。
そっと近づくと間違いなくRR君だ、と思ったが・・・あれ?HPに載せてる写真と別人っぽい。
一気にトーンダウンしてしまった。すごく失礼な事を書いているのは承知の上ですが、
この時の事は全部包み隠さず書いておきたい。フォスフォレッセンス誕生の物語でもありますから。

「写メマジック」という言葉が当時既にあったかどうかは覚えていないけれど、そんな気持ちで墓前に立ってしまった私なのだった。
彼はシャイなのか、後ろから私の気配を感じ取るやいなや少し目礼をして一目散に帰っていってしまった。

禅林寺の入口付近の少し腰かけられる場所にまだ彼が居たのでホッとした。思い切って声をかけてみた。
それからしばらく2人しか居なかったので、色々な話をした。

オフ会集合の時間までまだたっぷりあったので、駅前まで共に移動した。彼が傘を持っていなかったので、相合傘だ。
一昔前の桜桃忌はいつも雨が降ったので、当日仲良くなった同士が相合傘で距離を縮めたと何かで読んだが、
例に漏れず私たちもそうだった。ゆく末に太宰婚したカップルは他にもいるのだろうか?

コラルの1階の喫茶店でコーヒーを飲んだ。初めて向かい合った時、彼はメガネを外した。
後から思うとこれは計算だったかもしれませんが、ここで私は堕とされた。
「なーんだ、写真と違うと思ってたけど、メガネ外すとかっこいいじゃん!」と・・・

集合時間になり、3つのHPの人たちが集まって総勢15人位(だったかな?)で太宰ゆかりの場所巡り。
紫陽花揺れる雨の三鷹を歩いた。2時には禅林寺に戻り、夜は飲み会。ものすごく楽しい1日だった。
皆さん、お元気にされているでしょうか?いつでもまた、三鷹のうちのお店にいらっしゃって下さい。私はずっと待ってます。

翌日の淋しさはよく覚えてる。前日には早朝から深夜までずっと目線の先にいた人がいない。
好きになってしまった切なさを抱いて、井の頭公園を抜けて吉祥寺駅まで歩いたあの時の気持ちはずっと忘れないでしょう。

そしてまたネットのやりとりだけの日々。よく深夜にチャットした。
ある時の彼の「京都行きたい」という言葉をキャッチし、「じゃあおいでよ」と具体的に話を進め、
彼が京都駅に降り立ったのが1999年7月13日。
その日からこの2012年まで、ずっと一緒に居る。
つまり2度目に会った時から同棲が始まったというわけだ。
私も「いつ帰る?」と聞かなかったし、彼も「帰る」と言わなかったから、そのまま続いていった。

長々と失礼しました。10周年が無事、迎えられたのは彼のおかげなので、記憶力が薄れる前に記しておいた。
今はいつでも思い立って禅林寺に行ける場所に住めて、とても幸せだ。ずっとここに一緒に居られる事を心から願っている。



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