営業日記。


2004年2月29日 日曜日
ども、ますたーです。
本日、ちょいと品川までお出かけしてきました。
まあ、例によって鉄道関連です^^;
「思いでのはやぶさ」号と「懐かしのふじ」号です。ホントは午前に到着する「はやぶさ」を撮りたかったんですが前日に飲み会がありまして
ちょっと大変な事になっていたのでパスしてしまいました。で、夕方発の「ふじ」だけパチリと。

↑うーん、いつ見ても力強いですな、EF66は。

九州新幹線開業にあたって駅名が「西鹿児島」から「鹿児島中央」に変更になります。
それを記念しての復活運転な訳で、これが最後の「西鹿児島」表示です。いや、JRが妙な商売っ気を出さなければですが(笑)。
んでもって撮影後、「西鹿児島」へ最後のお披露目に向かう姿を見送りもせずささっと帰って来てしまいました。
人ごみに負けた・・。

2004年2月28日 土曜日
いまはまだ、地獄の方角ばかりが、氣にかかる。
新潟まで行くのならば、佐渡へも立ち寄ろう。立ち寄らなければならぬ。
謂はば死に神の手招きに吸ひ寄せられるやうに、私は何の理由も無く、佐渡にひかれた。
私は、たいへんおセンチなのかも知れない。死ぬほど淋しいところ。
それが、よかった。お恥ずかしい事である。  −太宰治「佐渡」よりー

      

 というわけで、行ってきましたよ。佐渡へ。
やっぱり旅はいいです。今回の旅も完璧。唯一手袋をどこかで落としてしまったことだけが失敗でずっと手が冷たかったことを除けばだけど。
24日の夜新宿発のムーンライトえちごに乗り25日の早朝新潟駅に到着。
25日の夜新潟発の同じくムーンライトえちごに乗り26日の早朝新宿到着、という両日夜行列車で宿泊なし、
という強行スケジュールだったのでさすがにばたばたした余裕のない旅になるかと思いきや、
けっこううまく時間配分して理想的なかたちでいろいろ周れました。 でも今度行く時は絶対ゆっくり時間をとってまわりたい。
新潟、ものすごく気に入りました。 そして佐渡、次回は1週間くらいかけてじっくりまわれたらどんなにいいだろう・・・ 

2月25日、朝5時の新潟は雨が降っていて風がすごく強い。傘が時折ふっとんでしまいそうになり、前へ進むだけで必死。
もちろんまだどこも開いてなくて、吉野屋、松屋、ロイホに入る余裕もなく、ただただ真っ暗な新潟の街を港方面に歩いてく。
信濃川沿いを歩いていくと港に着く筈。だけどまったく人がいないし、暗いし、ちょっとこわくなる。
思わず頭の中を「拉致」の文字がかすめたりして・・小走りになる。
でもそんな不安を一掃してくれるくらい、港に近い新潟の道は、朱鷺メッセ会場になってることもあると思うけど
ものすごくきれいだった。角栄の目がいきとどいてるのだろうか。道がきれいだと、その街をなんとなく信用できる気になる。
でもまだ迷ってた。こんな強風ならきっと船は揺れるだろう。船酔いしそうでこわい。でも市内で店が開く時間までただ歩くのもきつい。
このペースで歩いていって6時発の両津港行きに間に合ったら迷わず佐渡に行こう、と決心した。
港に着いたのが5時52分。まだ迷っていた。 でも頭の中で太宰の「佐渡」がぐるぐるする。「立ち寄らなければならぬ」
そんな私の背中を押したのが、乗客たちの淋しげな背中。女の人はほとんどいないけれど、どの背中の上着も雨に濡れて
誰も皆この世の果てに行くかのようなそんな背中ばかり。その背中にどうしようもなく惹かれた。 「行こう」と思った。
この淋しい背中の集団と同じ船に乗り合わせたい。 改札(っていうの?)の人に「船は揺れますか?」と聞いたら
「今日は波ぜんぜんないですよ」と答えてくれたので、安心して乗り込んだ。佐渡到着まで2時間20分。酔っても逃げられない日本海の上。
ああ、とうとう私、佐渡に行ってしまうんだ、と思いながら急いで乗船口に向かう。
同時に、「やっぱり乗ってしまいましたね」というもうひとりの自分の声が聞こえてくるようだった。

フェリーの2等室で自分のスペースを確保し、毛布をかぶって横になる。甲板に出たかったけど雨と強風だし、
誰ひとり出てないのでまだ勝手がわからず皆と同じようにじっとしている。全員微動だにせず毛布をかぶり横になっている。
たしかに地獄の方角の匂いさえ漂う。ほとんどの乗客が男性だと思っていたけれど、しばらくして静かな船室に
カツカツとハイヒールの音が響く。 毛布の隙間から男たちがチラッと視線を音の方へ向ける。
こういう女性を「佐渡美人」というのだろうか、ミニスカートからほっそりのびた足のきれいな美人。少し派手めだけど船室に咲いた花のよう
佐渡の人かどうかはわからないけれど。今日は朱鷺は見れないだろうけど、2等船室の佐渡美人が見れたので良しとしよう。

そうこうしてるうちにも船は進む。まったく揺れない。 ああ、全然大丈夫。良かった、と思い目を閉じる。
ところが、1時間もたたないうちに、きたー!ってかんじで急に揺れ出した。一瞬、「しまった」と後悔しはじめたが
「今、私はこれまでこの身が到達したことのない地点で、日本海の荒波に揉まれているんだ」と思い、
だったらこの揺れを楽しもう、と考えを切り替えたら、宇宙遊泳しているような気分になってきてものすごく気持ち良くなった。
日本海に抱かれてるような、なんともいえない体験だった。しばらくして少し余裕が出てきて甲板にひとりきり出てみると
すばらしい光景。(↑画像参照)思わず「カモメが飛んだ日」を熱唱していた私です。2番までソラで憶えてました。すげー
佐渡が見えた時の感動はなかなかのものでした。船に乗って良かったと心から思った。

だけど佐渡に着くなり、なぜか私の周りの人、機嫌の悪い人続出。ケータイで話しながらどなってる人、
駐車違反の車にわめきちらしてる人、たまたまだろうけど「佐渡の人情に触れる」のしょっぱなは不調である。
港付近の食堂で朝ご飯を食べようとしたけれど、まだ開いてない。喫茶店でモーニングすることにした。
しかし入った喫茶店で頼んだモーニングは出てくるのが遅い。ま、これが佐渡のペースかも、と思い
おやじ雑誌を読みながらきままに待つ。やっと出てきたモーニング。コーヒーおいしかった。嬉しい。
なにより私の心を捉えて離さなかったのが、おしぼり。なんと柿色。佐渡はおけさ柿が産物のひとつと、
平川地一丁目のおかげで知っていて良かった。その鮮やかな柿色のおしぼりで、なんかすべて許せた。
もう佐渡を見てしまったかのようにも思えた。 ありがとう、と店をあとにした時はものすごく晴れやかな気分だった。



太宰の「佐渡」と同じように相川行きのバスに乗った。ずっとバスから佐渡の風景を見ていた。雪をかぶった金山が美しい。
ブックオフと古本市場とTSUTAYAが集中していたところがあって、思わず降りたくなった。残念ながら個人の古本屋
を偶然見かけることはなかった。その時は途中下車してたかもしれない。
佐和田でバスを降り、海岸を少し歩く。美容院や喫茶店が海岸付近にある。こんな場所に店があるのはいい。
美容院の窓から中が見える。パーマをかけてるお客さんと店の人がなにか笑って話している。ホッとする。
時間がないのでそこから今度は違うルートで両津港へUターン。 途中で新穂を通ったので、一瞬朱鷺を見ようかと考えたけど
自分は新潟まで朱鷺を見にきたんじゃないだろ、ハイドを見にきたんだった、と我に帰り朱鷺はまた次回、と港へ向かった。
このことを後でさんざん人に「佐渡行って朱鷺見てないなんて」とか、ますたーなんて「ハイドはまた見れるやろ、
朱鷺はもう絶滅するかもしれんのに」なんて言われたけど、今日この日のハイドはものすごく良かったので、時間どおり
フェリーに乗れて本当に良かった。そんなかんじで私の初めての佐渡はたった4時間しかいれなかったけれど、
バスの窓から見たさまざまな風景はしっかり焼きついている。佐渡の人情に触れる、なんて4時間じゃちょっと無理
だったんだと思う。でも佐渡という島で毎日店で頑張っている人の顔も見れたし、海岸で日本海の海水にも触れた。(↑画像)
佐渡には「草を踊らす風」が確実にあった。今回はそれだけでも充分かもしれない。
また必ず佐渡に来ます。その時は朱鷺やたらい舟を見たり、旅館に泊まって真夜中に波の音で目覚めたりしてみたい。
今回は営業日記に旅行記を長々と書いてしまったけど、太宰の「佐渡」に感化されての旅だったので、ちょっと記しておきたかったのです。
そして私も太宰と同じように、「自分の醜さを、捨てずに育てて行くより他は、無い」と思ったのです。

おまけ

帰りの佐渡から新潟へのフェリーでは船室に入らず、ずっと甲板にいました。
一番上の甲板、誰もいなかったのでずっと日本海見ながら歌うたってました。昼間で太陽上がってるから寒くないし。解放された〜
あとはライヴの時間まで市内をうろうろ。古町にいいかんじの喫茶店が多かったけれど、無駄使い厳禁で今回は我慢しました。
「雪の華」という甘酒を探し続けたのだけど、どこにもなかったのが残念。次回はゲットしたいです。酒飲めないけど甘酒大好物なので。
紹介してもらった郷土料理店で「わっぱ飯」のセットを食べる。ご飯の上に鮭が引いてあるのですが、うまいっ!
ああ、これこれ。これさえあれば今回の旅は大成功。お米のおいしい新潟で、おいしいご飯にありつける。
この当たり前のことがなかなか難しいのでは?と思ってたけど、本当においしかった。一緒に出てきたもずくや山菜のおひたしも
歯へのからみ具合からして違う。とっても柔らかくておいしい。もう涙が出そうになるくらい幸せだ。そして今回のメインイベント、ハイドのライヴへ。



早朝にここの前を通った時もしびれたけど、信濃川にかかる万代橋のたもとにあるライヴハウス「新潟フェイズ」
(↑画像参照 PHASEと書かれたグレイの建物)なかなか私好みの建物で、ここでハイドのライヴを体験できるなんて
今夜はきっといい夜になる、と思ってました。「新潟ほど無機質な町はない」と自らの故郷を、坂口安吾は言ったそうですが
無機質だからこそ惹かれるものもあります。無機質な中での日本海の黒っぽさ、お米の白さ、肌の白さ、
そういったものが引き立つというか、この新潟フェイズの無機質さも、信濃川の青さと合っていると感じました。
今回のライヴは良かった。日本海の近くの町でハイドの声を聞いているという贅沢さに酔いました。
なんだかんだ言って「ファン」という意味ではやっぱりずっとこの人が自分にとって一番かな、と思った。
ライヴ後、夜は万代橋がライトアップされて空には下弦の月、美しかった。このライヴハウス設計した人はこういう光景も
計算に入れてたのかな、と思った。余韻に浸るには絶好のシュチエーション。

そんなかんじでまた夜行列車に乗り、東京へ帰った。疲れてる筈なんだけど、お米パワーに助けられ
風邪もひかず無事帰宅。27日はますたーに、いつも日曜日夕方まで店番してもらってるのを今週はこの日に交代してもらい
夕方近くまで休んでからお店に出ました。さあ、遊びの時間は終わりました。
これから花粉のシーズンは外に出ずひきこもって確定申告に集中します。ああ、旅はやっぱりいいな・・・また行けるよう頑張ろう。

2004年2月24日 火曜日
明日の今ごろ、この身は佐渡島にあるかもしれない。
まだわからないけれど、太宰の「佐渡」を読み直したら
やっぱり、ってかんじでどうしようもなく佐渡に渡ってみたくなった。
「死ぬほどさみしいところ」にひかれてフェリーに乗る太宰と同じように。
ジェットフォイルなんて近代的なものじゃダメ。死ぬほどさみしくなるにはフェリーの2等でないと。
子供時代から身についている女優ごっこで、テーマは「失恋して身も心もぼろ雑巾のようになり、佐渡へ渡る疲れた中年女。
夫あり。真知子巻き姿でデッキに佇み黄昏る」なんてシナリオが脳内ですでにはじまっている・・・危険。
この場合、もちろん失恋の相手は夫ではないです、あ、あくまで「女優ごっこ」ですから。
「ごらん、あれが竜飛岬北のはずれ」と見知らぬイケメンが指をさす、ってとこまでもうシナリオはすすんでます。
「あのー、佐渡島なんですけどぉ 住んでるものが言うんで間違いないです」と直次郎君まで登場。いかんいかん、これくらいでとめよ。

でも問題は船酔いです。新潟から両津へのフェリーって揺れますか?と何人かのお客さんに聞き込み
したのですが、答えは半々。揺れる、と答えた人はものすごくオーバーに言うし、揺れない、って人は
まったく問題なし、と言う。やはりその日の天候なのでしょうかね。まあ気分次第できままにいこう。

ただ、おいしいご飯だけはなんとか食べたい。たとえ新潟に到着した時、早朝でまだどこもあいてなくて
空はどよーんと曇っていて、東京の場末のかんじとあんまり変わらないな、なんて感じたとしても、
初めて行く街だけど、お米のおいしい故郷だと信じてる。おいしい白いご飯をただただお腹にいれられたらそれでいい、
そして、列車の中からでもいいから日本海をひとめ見れたらいい。といいつつ荒波にもまれ船に乗り佐渡に行くかもしれないけど。
佐渡に行ったとして、観光する時間などないので「ふぅーっ」と佐渡の空気を吸って、港の近くの食堂で佐渡の味と人情に
触れる、たったそれだけで精一杯とは思うのだけど、時間とお金を使ってでも寄り道したくなるくらい
太宰の「佐渡」に私はひかれた。ならば深夜、旅館の布団の中で荒々しい波の音で目を覚まし、今孤島にいる
という感覚をも味わわなければ、とも思うのでやはり佐渡は次回泊まりで、とも思う。明日になってみないとわからない。

そんないきあたりばったりの旅だけど、お米と日本海、そして新潟の文学少女とすれ違いたい。
高野文子さんの「黄色い本」に出てくる本を読んでる女の子はたしか新潟あたりの日本海側の都市在住という設定だった。
あんな子に新潟のどこかですれ違えたらいいなと思ってる。
いきあたりばったりなだけにさまざまなものとの偶然の出会いに期待しています。あとは風邪に気をつけるようにして、いってきます。

2004年2月23日 月曜日
昔の日記で、
「この店の前の中学校の国語の先生なんて来ませんかねー」とお客さんが呟いた、
って書いたことがありましたが、今日どうやらそれらしいお客さんが来店されました。
この目の前の中学かはわかりませんが、確実国語の先生でしょう。
まずひとりの先生が、お店からもうひとりの先生を「ちょっと時間ある?今、すぐ近くのフォスフォレッセンスにいる」
って呼び出してた。もうひとりの先生が到着して、「え?ここが太宰の店って知ってたの?出来すぎ」
なんて言われてて、しばらく「走れメロス」の授業のすすめ方についてのバトルトークされていた。
私もなんだか授業受けてみたくなったな。国語の授業は大好きだったから。

同じく昔の日記で、
「ドアに顔をはさまれていたおじいちゃん」どうしよう!と心配になったけど、私にウインクして見せた
おしゃまなおじいちゃんのことを書きました。
そのおじいちゃんが、今日また来てくれた。元気そうで良かった。
表の2冊で100円コーナーから、雨に濡れてしまった岩波文庫の「草の葉 上」と「ロビンソンクルーソー」
をレジへゆっくりと持ってこられた。「雨に濡れてかわいそうな本、わしが生きてるあとちょっとの間だと思うけど、
可愛がってあげることにするよ」って。なんか泣きそうになってしまった。
「昔の本がいいんですよ」と何度も繰り返し、ゆっくりと帰っていかれた。
また是非元気なお顔を見せにきてほしい。

新潟行きが迫ってきている。 今回私にしては珍しく古本屋も喫茶店も特に調べず、
新潟に詳しい人にご飯のおいしいお店を紹介してもらっただけ。
県内の美術館や新津の坂口安吾の文学碑めぐりなど教えてくださった方も感謝です。
いつかもっと時間をとって必ず行きます。なんせ宿泊なしの強行スケジュールなんで・・風邪ひかないようにしなくちゃ

2004年2月22日 日曜日
んーと、ますたーです。
例によって日曜のお店番。
なんか、最近寒いのか暖かいのかよくわかんない天気が続いてますねえ。
昼間暑くて着るものを一枚減らしたら夜はやっぱり寒かったり。
ま、そんなところで。。

2004年2月21日 土曜日
今日は開店直後から珍しくバタバタと忙しかったです。
太宰関係でお知り合いになった方々が来て頂いてて、
おひとりは青森からいらしてたので、りんごをおみあげにいただきました。
そのりんごが手の上に乗った瞬間、あまーい匂いがたちこめてきて、なんか癒されたな
あと私の大好きなご当地キティちゃんをいただいた。「みちのくキティ物語」って書いてあって、
キティちゃんが赤いほおかむりして、りんごを入れた籠を手に持ってるんです。「りんご娘」ってエプロンしてて
ちゃんと白い足袋に赤い下駄はいてるというこりっぷり。来週新潟行ったら、コシヒカリキティちゃんと
佐渡バージョンの柿をかぶったキティちゃんをゲットできたらいいな、と思ってます。
あと、「子供がかぶれるので、うちには必要ないのでこれ使ってください」と、入浴剤もたくさんいただいた。
うれっし〜! 今夜はさっそくローズの香りのバスボールフラワーで、リラクゼーションの世界にひたりまくろうっと。
そのあとピエネッタのストロベリーを食べながら昨夜のMステのビデオを見て、直次郎君の成長ぶりを堪能しよーっと。楽しみ〜
アイスクリームのピエネッタやピノにいちごバージョンが発売されて、とってもおいしいのですが、食べすぎは厳禁。
先日一人暮らしの自称ビンボー学生さんに教わった「貧乏のためのピエネッタのおいしい食べ方」というのがあって、
ピエネッタって層に分かれてるんですが、一日一層ずつだけ食べていくんです。そしたら2週間近く毎夜楽しめる、
と聞いて私もさっそく実行してるのです。ただもったいなくて、アイスがどうしても食べたくてたまらない夜、好きなテレビ番組等
がある夜だけ、ピエネッタ解禁日にして、1層分だけ食べるのです。これ貧乏人にも美容のためにもおすすめです、はい。
アイスクリームには賞味期限がないらしいですしね。ってことは四半世紀前のいちごのパリポも食べれるのだろうか?
いちごのパリポというのは私の中でのクイーン・オブ・アイスで、昔ピンクレディーがCMで宣伝してたものです。もう一度食べたいな

元出版社に勤めていたというおじいさまがいらして、とてもお店のことを誉めてくださった。
「三鷹の文化に貢献してるね」とまで言ってもらって、少々照れ気味な私。
安部公房と親交があったらしく、女優さんとのいろいろな事など裏話もお聞かせいただいたりして・・
そういう方ってやっぱり図書館に来るついでにこのお店を見つけてくれるんですよね。
「今日は図書館でこれらの本を借りてね」と実際にカバンの中の本を見せていただいた。
ほとんど絵画の技法書だったけど、一冊だけ内館牧子のエッセイがあった。「これおもしろいんだよ」って。
本の意外な組み合わせを発見できるレジが好きだった書店員時代を少し思い出した。ものすごく忙しくとぎれることのない書店で
レジ係一日バイト、やってみたいなー。今の仕事に生かせる体験になりそう。あ、年齢制限がひっかかるかしら・・・

2004年2月20日 金曜日
おととい散歩した時、今のお店に決定する前に決まりかけていた物件を2件ほど見たけど、空き店舗だった。
当時はあまりなにも考えず、最初見た時のインパクト重視、雰囲気第一だったのですが
今思うと、防音の面で良くなかったり、改装工事が絶対必要だったりした。ものすごく甘かった。
自分の身の丈に合った場所、としては今の店に出会えたことは本当に良かったんだと思う。
ひとつ発見があったのは、三鷹駅前から玉川上水沿い、下連雀3丁目あたりを歩いたけれど、
この散歩の日たまたまかもしれないけれど、あまり赤ちゃんを見かけなかった。
上連雀8丁目の私の店の前の通りは、隣に図書館、目の前に小・中学校、あと託児所もあるらしいという
そんな関係もあると思うけど、しょっちゅう赤ちゃんが通る。どんなに気分の落ち込むことがあっても、
店の窓の外に赤ちゃんを見た時、心がパッと明るくなる。目があって、笑いかけてくれたりしたらもう、涙さえ自然にあふれてくる。
これ前にも一度書いたかもしれないけど、赤ちゃんがしきりに店内の本を見ていて、
その表情がやけに大人っぽかったことがあって、その時店内にいたおばあさんが
「あの子、きっと前世は本に囲まれる仕事してたか、とにかく本が好きだったんだよ」って低く呟かれて、
ドキッとしたことがあった。 ありえる話だと思う。
お母さんと一緒に手をつないでガラス面の本を見ている小さなお子さんの表情を見るのも好き。
自分の居場所の良さを再発見することができた。やはり歩くのは素晴らしい。

窓ガラスのところに置いていた「紙のピアノの物語」というフジ子・ヘミングが絵を書いた本、
気になってお店に入ってこられた女性の方、手にとられたあともかなり迷われていたようで、
一度パタンと本を閉じ店を出ようと思われてたようですが、なにかひきこまれるものがあったようで
また戻って本を手にとられ、購入されました。「とても素敵な絵本ですよね」と声をかけると
「迷ったんですけど、母がフジ子・ヘミングさんが好きなので、一緒に読めると思い買うことにしました」と。
「そんなふうに読んでいただけると思うと私も嬉しいです」とお答えして、帰っていかれるその方の姿を
窓から見ていると、本を抱えて輝くような笑顔で行かれたんです。すごく嬉しかった。
この本を買ったことが、あんな美しい笑顔を創るなんて・・・こういう瞬間、本当に店やって良かった、って思います。
お母様も喜んでくださったかな

2004年2月19日 木曜日
昨日の休日は三鷹を歩く、と決め玉川上水のあたりを散歩しました。
ジブリへと向かう人たちだと思うのだけど、少し春めいたおでかけファッションで頬を蒸気させながら
歩く若い人をよくみかけた。ずっと前から予約して、楽しみにしてた日がやっときた。しかも快晴。
この日のために新しく買った服を初めて着て、初めて歩く街に心は躍る、ってかんじが伝わってきた。いいなー

常に自転車で行動するので、ゆっくりと歩くなんて久しぶり。天気も良かったし気持ち良かったー。
また普通の民家を歩いてるだけでも発見が多かった。文庫本を積んでカーテンがわりにしてるような家があった!
さくら通りを通ったので、「さくらのみち」でティータイム休憩。相変わらずな店主さんの柔らかな笑顔にホッとし、
店内がとってもきれいなことに関心する。 花はさりげなく挿してあるし、桜の花びらの模様のついた素敵な器とか
女性らしいこまやかさがあふれてる。うちの店はそういう点ちょっと欠けてるのでかなり刺激になりました。
こういう人が淹れてくれるお茶を飲みたいと思いますもん。
禅林寺すぐそばの「るま・ばぐーす」にも立ち寄り、お店の方といろいろお話しながら輸入雑貨などを物色する。
フェアトレードSHOPというのを初めて知ったのはこちらのお店でした。
フィリピンの素敵な和紙の一筆箋があったので、バレンタインにチョコをいただいたお返しにしようと思いつき購入。
あとはうちのお客さんからすぐれもの!と聞いていたインカの天日塩を買いました。

今日は店の前を7,8人くらいのグループが囲んで、何事かな?と思ったら、その中のひとりにお客さんの男の子がいた。
2,3人のグループに分かれて店内を見たり、本を買ってくれたり、その後、彼が店の前で皆に説明している。
その時店内にいたお客さんには聞こえたらしいのですが、「このお店は、儲けはあまり考えなくとも好きな本や文学で・・・」
みたいなかんじの内容だったらしいです。「ちゃんと店主の考え浸透してるじゃないですか」とそのお客さんは言ってくれたけれど
次回に「えー、このお店の跡は、儲けはあまり考えずやっていて、やはりこのとおり・・」とならないようにしなくちゃね
でも、この店ではけっこうおとなしい彼が、実は文芸部の次期部長とかで、後輩引き連れて三鷹文学散歩でここも寄ってくれた
のかな、と想像するとちょっと嬉しい。昨日三鷹を歩いた私だけど、まさに人が「三鷹を歩こう」ってなった時にコースのひとつとなれた
のなら、本当に嬉しいです。

2004年2月17日 火曜日
シルクハットを倒(さか)さまにして、その帽子の底に、小さい小さい旗を立てた、それが甲府だと思えば間違いない。
きれいに文化の、しみとおっているまちである。 −太宰治 新樹の言葉よりー

長田さんより山梨日日新聞の連載記事「語り継ぐ 甲州の太宰治」のコピーを寄贈していただきました。
いつも感謝しています。太宰コーナーのところに置いてあるので興味のある方また見てくださいね。
甲府時代の太宰を知る人の証言が載っていてかなり貴重な資料です。
太宰のじいやが津軽から天下茶屋に訪ねてきて、大粒の涙をこぼしながら
「ぼっちゃまが、どうしてこんな山奥に・・」とまた泣いたという再会のエピソードでいきなり胸を熱くさせられます。
そこに載っている1940年(昭和15)年7月、伊豆熱川温泉での太宰(31歳)の写真が、とてもいいのです。
白黒だしコピーだしわかりにくいのですが、素敵な表情で、まっすぐにこちらを見つめているのです。
この記事を読み終えて実感したことは、太宰を実際知る人たちが皆口をそろえて「優しい人だった」と言っていること。
そして、女性の方の証言で、「細くて長くてきれいな指をしていた、ヤニはついてたけれど」とか
「太宰さんは色白で肌がきめ細かく、きれいな手をしていた」というのが目立ってあって
太宰の指先をものすごく想像させられた。ふれることは決してできないけれど、だからこそ永遠に想像できる。
一度も会ったことのない、死んでいる人間に恋をするというのはある意味幸せかもしれませんね。終わりというものがない。
「富嶽百景」の「娘さん」のモデル、古屋たかのさんの「太宰さんが山梨にいた時のことを、
太宰さんという優しかった人のことを語り継ぎたい」という言葉、しっかり受けとめたい。
このお店も、「優しかった太宰治」を伝えていきたいのです。ついでにもうひとつの私の夢を告白しておくと
支店でなくていい。ほんの3日間だけでも、ある年の冬だけ、または週末だけでも良い。
甲府でなくとも、富士が見える場所なら良い。「富士には月見草がよく似合う」というこれまた長い名のお店をいつかやりたい。
この店くらい窓が大きくて、きれいな富士山が見えたらそれだけで言うことなし。そちらは小さくても全面禁煙で。
もちろん三鷹の店は継続しながら、ですよ。ますたーに三鷹店を全部任せたら「太宰と鉄道本メインの店」に変えられそう
なので。甲府のことが出たついでに告っちゃいました。まあ夢は大きく持った方がいい、ということで。10年後実現目標かな
というかまずフォスフォレッセンスを安定させなくては。頑張ります!

2004年2月16日 月曜日
今日、中学生くらいの女の子3人組が2回来店したんですけど、
2回目の時に店内に女性の2人連れの方が2組おられたので、
一時店内の女性人口がふくらみ、その時にいた男性陣がなんとなくパワーに
圧倒されたのか、「今日はこのへんで失礼しますー」と帰られてしまった。
その中学生くらいの女の子たち、ものすごくかしましくて、元気なのはいいんですけど
会話がすごくおばさんぽくて笑いをこらえるのに必死。
奥の席で本を読みながらお茶されている方たちにちょっと申し訳ないくらいのはしゃぎっぷり。
その会話というのが、「セクハラ」とか「しびれる」とか普通に言ってるから驚いた。
どうやらその女の子の中のひとりがジョニー・デップのファンらしく、
「ジョニー・デップで今夜はしびれそう・・・」なんて言ってるんですよ。うわー、すげえー、早熟だわ〜
と思いつつ、まあ自分も中学生時代の図工の彫金の時間、クラスメイトのほとんどがトシちゃんやマッチの顔を
彫ってるのに桑田さんの顔を彫って「しびれる〜」なんて言ってたくちですからね、でも金持ちになる男をちゃんと見抜けてたのだわ。
今から思えばあの頃、もうひとりヨッチャンの顔を彫ってた友達と再会して一言
「私たちは先見の明があったわよね」と肩を叩きあいたい。いや、マッチもトシちゃん(微妙)も現役で頑張ってるんですけどね・・
あ、また話がそれました。 で、その女の子は映画「ショコラ」のパンフレットを買っていきました。
お母さんへの誕生日プレゼントらしいです。お母さんもデップのファンなのかしら?
それで、お母さんへプレゼントする→自分もじっくり読める→今夜はジョニー・デップにしびれそう
なのですね、納得。お母さんへのプレゼントをこの店で選ぶなんて、なかなかいいと私は思うよ。思う存分しびれてください。
そうそう、もうひとつ笑いをこらえるのに必死なことがありました。
2人組の女性の会話で、織田作之助の話をしていて、「織田作之助ってオダサクっていうよね」って問いに
「キムタクみたいなもんよ」って答えててその自然さがなんかプッとふきそうになってツボにはまってしまった。

2004年2月15日 日曜日
ども、ますたーです。
最近暖かいですな。もう春も近いって感じで。
と、思っていたらこのところ風がやたら強い。春一番でしょうか、砂埃とか大変で、自転車乗るのも一苦労です。
おまけに風があるとまだ寒いんだよなあ。
等と思いながらレジの周りをキレイに整理してみました。レジやら電話やらパソコンやらでぐちゃぐちゃな配線もこれでスッキリ・・しねぇ!(笑)。
2004年2月14日 土曜日
バレンタインデーなのですね。店の前を、チョコの包みを開けながら男の子が歩いてました。
このところ既婚の友人やお客さんと、「もちろん主人にはチョコをあげるんだけど、
なんていうかトキメキゼロじゃない、おもしろみがないのよねー、もっとドキドキしたいわねー」なんて会話炸裂してました。
そう、ドロドロしたのは勘弁だけど、月に一度モップを取替えにくるダスキンのお兄さんにときめいてる、とか
冬なのに半袖で、しかも汗かいてる宅急便のお兄さんにハンカチを貸してあげたい、とかその程度でいいんですよね。
「玉山鉄二にチョコあげようか」と真剣に考えてた人もいたなー、どうしたんだろ
私はまあ普通に直次郎君とか、ちょっと変化球でミステリアスな雰囲気の小熊英二氏に著書「民主と愛国」
ばりのぶ厚いチョコを作るとかしたいかも・・・いかん、またいい歳して妄想モードになってきてしまいました。
だって昔はバレンタインというとせっせとチョコを手作りしたりしましたけど、今そんなのないですからね。
近所のスーパー「サミット」の入り口に近いチョココーナーの350円のやつをたった3秒くらいで選んで
しかも3分の2は私の口におさまってますから(3個入りです) チョコを湯煎で溶かすあの甘い時間はいまいずこ・・・

私は昔から好きな男子が出来ると、黙っていられなくてみんなにバレバレ、ってタイプだったのですが、
先日、「それは大人になっても変わってないのね。太宰さんに恋してます、って公言したんだものね、しかも新聞で。」
みたいなことを言われて、あ、ホントや、と思いました。でも太宰さんをはっと驚かせるようなチョコなら作ってみたいかも。
ハート型チョコに、「生まれてすみません」と文字を刻む、なんてどうでしょう 趣味わるぅ〜

後輩ファミリーが揃ってやってきてくれたのだけど、この春引っ越してしまうと言う。ここにも当分は来れなくなるのが残念だけど
新しいことに挑戦するようで、仕事もスパッと辞めてしまうらしい。お子さんもまだ小さいから思い切ったな、とも感じるけど
妻の力の大きさというものを考えさせられた。夫にやりたいことをさせてあげられる、ってすごいな、と。
またこの家族、ほんとに仲良くて、見ててほのぼのするのです。しばらくその女の子の成長が見れなくなるのが本当にさみしい。
昼間は週刊誌ネタ炸裂トークしてた下品な私ですが、(ま、そういうのも楽しい部分だけいただき、です)
いや、やはり身近な家族を支えねば、と改めて考え直しましたです。 しかし春は決断の季節ですね

主人が帰ってきたので、なにかやさしく声をかけてあげたくなったけど、もうチョコは食べてしまってない。
視線を下げるとそこに少し黒ずんだバナナが見えた。太宰と美知子夫人がひとつのバナナを半分に分け合って仲良く食べていた、
というエピソードをふと思い出して、「おかえり。 バナナ、はんぶんこする?」と聞いてみたら
「黒くなって柔らかいのはいらん」と3秒もたたずに帰ってきた。なんで黒ずんでる、ってわかったんだろ、妙なとこだけツーカーだ。
ま、こうゆうのもなんかいいだろう。  ロマンチックなバレンタインなんてものは、思い出の中だけで充分かも。

2004年2月13日 金曜日
雑誌「東京人」の保存版が現在書店等で発売されていますが、そこにかつて駅前に存在した
三鷹オスカーや第九書房・茶房なんかの写真が載っていること、
このところよくお客さんと話題にします。雑誌を見た人の中には「あの頃の三鷹は良かった・・・」
という声が多いのかもしれませんが、私の周りでは意外とそういう声はあまり耳にしません。
もちろん古き良き時代の愛された場所から学ぶべきものがあるだろうし、
決して忘れない風景として三鷹の歴史に刻み込まれている大切なものだと思うけれど
これからの新しい三鷹文化に期待したい、っていう声が多い。
先日、中央通りの古書上々堂さんが「今日は三鷹をじっくりと歩くつもりでいるんです」って顔を見せてくださって、
「文鳥舎さんと、うちの店と、フォスフォレッセンスさんをめぐるために三鷹に来る、って言ってくださる方
時々おられるんですよ」って教えてくださって、嬉しかったですね。
もちろんその地点を結ぶところには、たいやきのたかね、まほろば珈琲、貸本屋さん、デイリーズなど
いいお店はたくさんあるのだけれど、比較的最近、同じような時期にお店をはじめた、本に囲まれた3つのお店の
ことを応援してくださってる方が多いのはとても心強いですね。
そして長く続けていきたいですね。ずっと先、「私たちの世代はあのお店たちをオープンの頃から知ってるよ」
と自慢してもらえるくらいのものを築いていけたらいいですね。
忙しい日々の中、休日にゆっくり身体を休めるだけでなく、三鷹をもっと知りたい、そのためにはまず歩いてみよう、
というその考えにはハッとさせられました。私そういえば近頃全然三鷹を歩いていない。
暖かくなってきたことだし、今度ゆっくりと三鷹を歩いてみようと思う。 確定申告終わってからねー 

今日の昼間は赤ちゃん連れの女性二人がお店でゆっくり甘いものを食べて休みながら、
「ねえ、フリーペーパーつくらない?」って話で盛り上がってました。
夕方には年配の男性の方が、「松本清張の推理小説もいいけど、水上勉の推理小説おもしろいんだよ
映画になった飢餓海峡なんて良かったな、男の爪を女が切ってあげて、それをずっと持っていてさ、」
なんていろいろ話してくださり、最後に「太宰は、気のいい人だったらしいよ」と教えてくださいました。
小さな子供を育てながらも、新しいことをはじる人がいる、昔のことを教えてくれる人もいる、
三鷹文化は新しく流れていってるのだと思います。またそういう場所をつくっていきたいです。

2004年2月12日 木曜日
中原淳一の絵のメモ用紙をお店に置いていることは何度か書きましたが、
「聞いてください、このメモね、私ふと思いついたんだけど、こうやって折りたたむと
しおりになるの。ね、素敵でしょう」と、お客さんが実際に折って見せてくださいました。

  
メモの左手にあるのは京都、祇園で買った着物柄の鉛筆。      メモを折りたたんでしおりに。「ひまわり」にはさんでみました
右手にあるのは青山書斎館で買った五線譜専用万年筆。

中原淳一の本を読んでいると、さまざまな工夫をするとこんな風にもなる、というものの使い方を提案していることがあります。
つくり手の思いはちゃんと伝わっていて、淳一グッズをいろんな用途に使っている方がいらっしゃると思います。
このしおりを作って見せてくださった時のお客さんの頬はピンクに染まっていて、おばさまですけど(失礼)ほんのり乙女、でした。
こちらのメモのすぐそばに「本を読んでいて、はっ、と思う言葉と出会ったらこちらのメモをお使いください」と紙に書いて貼ってある
のですが、先日は小学生くらいの男の子がこのメモになにか一生懸命に書いていて気になっていたのです。
あとでテーブルの上にメモが折りたたんでちょこん、と置いてあったので見てみると「おいしかったね」と書いてあって思わず顔がほころびました。
まだ字をおぼえたてで、なにか文字を書くのが楽しくて仕方ないって気分が、まだちょっとバランスの悪い文字から伝わってきました。うれしい・・
中原淳一の広告や淳一展の割引券などいつもとっておいて送ってくださる方もいます。とても感謝しています。
私も淳一精神を見習って、自分が普段使っているものにもっと愛情を注いで、工夫しながら長く、大切に使っていきたいと思います。

2004年2月11日 水曜日
先日お客さんから「ある本に書かれていた言葉を、フォスフォレッセンスさんに」と、2周年に向けて素敵な言葉の贈り物をいただきました。
そのお客さんご夫婦が来てくださったので、その言葉が載っていた本について詳しく尋ねてみました。
お二人は、かつて渋谷の文化村の裏にあったオデッサイスタンブールというカフェによく行かれていたそうで、
そのことがきっかけでもあり、オーナーで作家の町田純さん創作のヤンの世界に触れ、愛読されてきたようなのです。
私もサイトでその猫のヤンの世界を垣間見ましたが、トルコ帽をかぶったその一匹の猫のことを
もっと知りたくなりました。トルコ、イスタンブール、この単語からイメージするものは・・・
世界史バカな私は「飛んでイスタンブールゥー♪」=ジタンの空箱、くらいしか思い浮かばなかったのですが、
「ここに黒海があって、こちら側がヨーロッパ、こちら側がアジア、うまくどちら側の文化もとけあい
チェコなんかもそうだけど、とっても素朴で可愛らしい民芸品があるのですよ」と丁寧に説明してくださるそのお客さんの
美しい指先を見つめながら、世界史や地理学っておもしろいものなのかもしれない、と思った。もうおそいかな
黒海や地中海やロプノール湖、ボスボラス海峡の居場所がちゃんとアタマの中に叩き込んである、ってすっごいかっこよく感じたのです。
そしてそられは、物語の中の世界だけではなく、ちゃんと存在するものであって、でかければ到達できる場所、というのがいい。
そういえば、「ブックカフェより、地図カフェの方が興味ある。地図を見てると飽きない。何時間でも過ごせる
あ、回転率悪すぎて商売にならないか、よっぽど地図好きな店主でないと」なんてずっと前に言ってた人がいたっけ

残念ながらオデッサイスタンブールというカフェは今はないようですが、
もし今、渋谷の奥にそんなカフェがあったなら、少しでもトルコのことを勉強してからでかけてみたいな、と思うのです。

最後に贈ってくださった言葉を紹介します。 お客さんのうろ覚え、ということですが

「純白の雪は豊かな者を貧しく、貧しい者を豊かに変える。雪の日に見る豪奢な宮殿の何と寒々しいことか。
一方、街の小さな家に灯る明かりの何と暖かなことか!」

2004年2月10日 火曜日
フォスフォレッセンス
このお店の名前については、なんの迷いもなく決めたことはどこかで既に書いていると思うけれど、
オープン当初は一部の人たちにはとっても気に入ってもらえたのですが、ご近所さんにはかなり不評だったようです。
とにかく覚えにくい。うちの店の将来を思うからこそ、「改名した方がいいのでは?」とアドバイスくださった方もいた。
経営を学んでる方や、商売を研究されてる方で、「店名をひとめ見て、ここのオーナーは回転率や数字重視ではないことは
たしかだとわかった。普通店名を考える時は、誰もがすぐ覚えられるようなものを考えるから」とも言われてました。
でも最近は、この店名ごとお店を気に入ってくれる人が目に見えて増えてきて、とても嬉しく思っている。
先日来店くださったお客さんが今日また来てくださって、
「あれからこのフォスフォレッセンス、という言葉がどうしても気になり、いろいろ調べてみたのですよ」と。
方言の研究もされている、というそのお客さんは教えてくださりました。
「本来は、狐火、燐火、などの意味がありますが、深く追求していくと、魂を表現する例えにもつながってくるんです。
津軽弁では、たましこ というのですが、太宰はこのフォスフォレッセンスを、魂、という意味にもとらえていたのかもしれませんね」と。
なるほど、と思い た、ま、し、こ、と呟いてみる。津軽弁のかんじだとどんな響きなんだろう、
「このお店は外から見ると、外国のお店みたいにレンガづくりで横文字の覚えにくい店名、今風なかんじで年寄りにはちょっと
勇気がいるけど、中へ入るとまったく違う印象ですね。たくさんの本や、さまざまな思いが小さな場所にぎっしり詰まって
そこにも、ここにも、魂の火があるようで、いいお店ですね。あなたここを続けてくださいね」
と、とっても嬉しいことを言ってくださったんです。長く生きてらっしゃる方のお言葉だからこそ、ずーんと胸に響くのです。
あまり「フォスフォレッセンスは花の名前」とかはっきりしてなくて、太宰がこの言葉と出会ったきっかけなどはまったく
あきらかにされてない、謎の部分が多い作品なのだけど、だからこそそれぞれの人が感じる、自由なフォスフォレッセンスで
いいと思うのです。私も実は自分のお店の名前なのに、人の口から「フォスフォレッセンス」と出るとドキーッ!とするのですよ。
もしかしたら夫の口からも、一度も聞いたことないかもしれない。ってそれはないかな・・・
でも外観を見て気になって来店くださった方に「ケンブリッジにこのお店の外観そっくりなブックカフェがあるんです。思わず懐かしくて入っちゃった」
って人もいました。こういうテントで、横文字で、ってのは私の長年の夢だったので、このまま変えずにいきたいと思います。
中には一度も入ったことないわ、という方々、見てみるだけでも全然結構なので気軽に入ってみてくださいね。

2004年2月8日 日曜日
どもども、ますたーです。
えーと、某新聞に載ってから最初の日曜ですね。
そんな訳で、今日もいろいろなお客さんから「載ってましたねー」とか言われてしまいました。
まあ、店主も書いてる通り、新聞効果っつーは確かにありまして、普段の日曜は結構お客さんの出足は遅いのですが、今日は
開店そうそう(つーか開ける前)からお客さんが入れ替わり立ち替わりって感じで来てまして、気分良く動くことができました。
暇すぎるのも忙しすぎるのも困っちゃいますので。。

あ、そうそう、今話題の牛肉ネタですが、この前松屋で「豚メシ」食べました。
「牛メシ」よりもあっさり風味で美味しかったです。いっそこのままずっと豚で通してくれんかな。。

2004年2月7日 土曜日
もうすぐ2月第一週が終わる・・・
今週は記事を見て来て下さったお客さんからさまざまな太宰治に関する話を聞けました。
一度に全部は書ききれないので、ぽつりぽつりとまた記していきたいと思います。
きっかけはみなさんさまざまなのですよね。
ある方は、初めて太宰作品の世界に触れたのは、うちにも来て下さる、「中央線の詩」にも載っていた
長田清さんによる「リイズ」の朗読だったそうです。
斜陽も人間失格も、走れメロスこそまともに読んでいないけれども、この「リイズ」たった一作で、
なんだか太宰治という人が自分なりに理解できた気がした、と言っておられた。
もちろん一面にしか過ぎないのだけど、自分にとってその一面は他の小説にない可能性があるものだった、
ように言われてました。「リイズ」を読んだことがある方はわかると思いますが、
お母さんが太ったモデルさんを選んでくるそのわけのくだり、この太宰の人間を見るまなざしのやさしさ、みたいなものに
感動されたそうです。もちろん力強い声もその魅力を増したのでしょうけど。
その方は陸橋の付近にお住まいらしいのですが、それ以来陸橋から見えるいろいろなものをながめては
太宰治はこの場所に立ち、どんな思いでいたのだろう、また彼のその「まなざし」で、どんなものを見ていたのだろうと考える、
と言われてました。 同じく陸橋付近にお住まい、という女性の方も、
「ここで太宰さんはどんなこと考えてたのかしら、と思いをめぐらせながら夕焼けを見たり今でもするの。
当時は高いビルもなく畑ばかりだから、富士山だってものすごい迫力だったろうしね」と言われてました。
「陸橋に佇む太宰治の写真ってありますか?」と聞かれ、本に掲載されていた写真をお見せすると、
「ありがとうございます。満足です。どうしても見たかった。やっぱり、思いえがいてたとおりの哀愁の表情でした」
と帰っていかれた方もいた。「それぞれの方の心の中で、太宰は死んでないですね」なんてお客さんと話してると
「でもあなた一番きょーれつよね、京都から引越ししてくれなんてすごいわよ」って。
いや、一番大切なのは持続力ですからね。まだまだスタートライン。地道に頑張りますです、はい。

2004年2月6日 金曜日
まったく似てない、断じて似てない、って思うタレントさんに「似てる」って言われたことってあります?
私はあんまり有名人、タレントさんなどに似てる、と言われたことないのですが、なんとモー娘。の
辻希美に似てると言われました。ね、まーったく似てないでしょ?といいつつちょっと嬉しかったりする?
というのを通り越して、もう「ありえへん!」ってくらい似てない。しいて言えばちっちゃいところくらい。
若い男性のお客さんがはじめて来店されたんですが、前々からこのお店の前を通るたびに
ちょっと似てるな、と思ってたんですって。で、勇気出してお店に入ってみて実際話してみて
「やっぱりののたんチックな人だ」って思ったんですって。もう爆笑ですよ、ほんと。
正確には昨日の閉店前の出来事なんですけど、このこと日記に書くわ、と公言したので無理やりくいこませてます。
いや、はじめはおとなしいかんじの方で、静かにコーヒー飲まれてたんですけど、
隣の席のお客さんが、今日は2割引だからこの斉藤由貴の写真集が80円か・・・とつぶやいたことを
きっかけに店内一気にアイドル話で盛り上がり、「モーヲタがどうこう」とか「事務所のやり方がねえ」なんて
言葉がとびかうとびかう、って3人なんですけどね。
モー娘。の中でも特に辻ちゃんのファンだというそのお客さんに
「辻ちゃんのどんなところがいいんですか?かごちゃんではダメなんですか」と質問してみたら
「ののたんはね、男の子なんです」ですって。そこがたまらないそうです。いやー、深いな・・・
今週の土曜日19時〜教育テレビ「ミニモニで」って番組で辻ちゃんが大活躍するそうなので見てください、とのことです。
私もモー娘。やあややが大好きで、いつもテレビで見てはパワーをもらってるんですよ。

パワーといえば、おとといの水曜日はaikoの中野サンプラザのライヴでものすごいパワーをもらいました。
この日、実は私はチケットを持っていなかったのですが、好意ある人のおかげで会場でチケットをゲットできたのですよ。
この冬はaikoのアルバム「暁のラブレター」をどっぷり聞いていたのでどうしても生で聞きたい、と
願かけするつもりでなんとaikoっぽくミニスカートをはき、おまけに白いブーツもはき、いざ、出陣!とうちを出たのでした。
37歳のミニスカ白ブーツってありでしょうかね、でもその願かけのかい?あってすばらしい時を過ごせました。最高の夜でした。
よっしゃ、これは2周年の前夜祭や、空には満月。世界は私にやさしい、まだまだいける!って気分になりました。
思い込みの激しさって時に大事だと思います。鏡にうつった自分の姿をミニスカはいた老婆、と思ったらそこで負け犬
ちょっとめちゃaikoっぽいやん、って勘違いするくらいでこれからもいくと思います。わかってます、人にメイワクだけはかけへん程度にね(ウインク)

2004年2月5日 木曜日
今日は2周年感謝セール。店内の古本オール2割引、ということでお店にも手書きの貼り紙をしてました。
来て頂いた方、声かけてくださった方、ありがとうございます。また花束を贈ってくださった方々、大感謝です。
昨日のお休み水曜日にも九州からちょうど東京に来ていて新聞を見て店に行こうと思った、という方や
太宰治の大ファンで、津軽弁を話す男性と結婚した、という女性など、はげましのお電話いただいてたり
昨日来たけど休みだったので今日もう一度来てみたというおじいさま、メールくださった方、など今日もあらたな出会いが
たくさんありました。今日のお昼は記事を見た年配の方、夜は若い方が主に来店してくださいました。
お昼の年配の方たちは、「フォスフォレッセンス」を読ませてください、この場所で。と静かにコーヒーと甘いものを召し上がりながら
読了され、「あ、なんとなくだけど、このお店に合ってる気がするわ、思いがけないこの時間をありがとう」
と言われ帰っていかれたりする。こちらにも心地よい余韻を残してくださりとても嬉しい。
昨日も今日も足を運んでくださったおじいさまは、お住まいをお聞きすると決して近くない。
入ってこられる時も、帰られる時もとてもゆっくりと歩いていらして、わざわざ出かけてくださったその重みを実感させられた。
思わず声をかけると、今でもいろいろな場所にカメラを持ちながら出かけていくので大丈夫、とお答えになる。
隣の席のお客さんが思わず「年季の入ったいいカメラをお持ちですね」と声かけてしまうくらい、
そのカメラカバーは素敵なくすみ方をしていた。味のある古本みたいに。
「今日も多摩霊園に行って小熊秀雄の墓に行ってきたんだよ」と。それから静かに話してくださった。
太宰みたいに墓前にいつもファンからの花があふれてるわけじゃないけれど、お墓の横の切られた木の根元から
新しい枝がたくさん出てきていて、なんだか感動したんですよ。と、ノートにはさんだその枝を見せてくださいました。
その方は小熊秀雄の足跡を追いかけていて、本などに出ている小熊秀雄の住んでいた場所にも訪れたけれどどうもイメージが違う。
中野重治が表現した「崖の下にあるようなアパート」という言葉にこだわり、その本当の場所を探し続けたという。
その結果、見つかったそうで、そこにたどりつくまで、坂をいくつも進む時間は本当に興奮したよ、と教えてくれました。
転居してる場合など、間違った住所でずっと記されてることがあるってことも考えられる。
先日書いた、まさに史実をたどり続ける人にまた会えたわけです。でもそのことを郷土の資料館などに知らせようとしても
ていねいに対応してもらえないこともあるそうです。それは残念なことですよね。
だから、ってわけではないけれど、忙しすぎる店にはしたくない。ていねいに生きてる人でも忙しい時は少し雑になってしまうこと
あるもの。私は器用じゃない方だけど、どんな時でもお客さんの声、問いかけに雑な応対をすることだけはしたくない。
今はまだ勉強不足で未熟ですが、その部分だけは心がけ次第だもの。ていねいさだけはこれからも大切にしていきたい。

☆三鷹の出版社、せらび書房より「小熊秀雄とその時代」 田中益三・河合修共編 \2600 という本が出ています。
うちでも販売しておりますので興味のある方は見てみてくださいね。

2004年2月3日 火曜日
今朝の朝日新聞の朝刊に「フォスフォレッセンス」のことが掲載されました。
武蔵野版の地方記事の「中央線の詩」という連載の第7話、タイトルは「恋」
朝、この記事を読んだあと歯を磨きながら、嬉しさがこみあげてきました。
朝日の記者さんさすがです。たった10分ほどしか話してないのに、その記事は
とてもうまくまとめられていた。タイトル「恋」だし。
写真も、今まで載った数々の媒体が撮らなかったうちの店のどちらかというと
影の角度が捕らえられていたし。あの太宰の絵は、お客さんが自分で書いたものをくださったものなのです。

反響はけっこうありました。お客さんもたくさん来てくれたし、電話もいただきました。
常連さんも皆「よくまとまった記事だったね」と喜んでくれてた。
太宰治研究を続けられてる方も「今日の記事が一番圧巻だった。
太宰の小説を地でいくようなストーリーになっていて良かった」と言ってくださってすごく嬉しかった。
ずっと高齢の方の話だったので、次の世代の現在進行形の話がとても希望を感じさせられた、
とかさまざまな声を聞けて今日はとことん良い日。
若い人もたぶんこの記事を見て、だと思うのだけどたくさん訪れてくれて
閉店前なんて「文学少女のサロン」みたいな雰囲気で賑わいました。
もうすぐ開店2年をむかえる前の、贈り物のような日と受け取ってたまには手放しで喜ぼう。
そして明日からまたもっと戦っていかなくては。
私はラッキーだと思う。普段の生活もありながら、現在進行形で過去から継承されるなにかを守っていこうと
頑張ってる人はたくさん存在する。たとえそれがまったく自分に見返りがないものでも。
新聞というものは、一人でも多くそんな人たちのしていることを伝えていってほしい。
そして私は心して読み、感じ、感謝していきたい。何か行動できることがあるなら行いたいと思う。
そう、今日は節分。昨年同様今年も2階の治療院の方が恵方巻きをくださった。「ご主人の分も」と2本。
感謝しつつひそかにパクリとあとで食べようと思う。恵方巻きとお寿司屋さんの説明書きがあって、
そこにはその年の恵方(今年は東北東)に向かって無言でかぶりつく由来は、一説には若い女性の願いで
ある好きな人と一緒になりたいと云う祈りから広く普及したとも伝えられている、と書いてある。
私も恋の力でここまで頑張ってこれた、と言っても過言ではない。これからもその力を信じて頑張っていきます。

2004年2月2日 月曜日
第一話がはじまった時からずっと太宰治の話だったので、お客さんからも
「おたくもやっぱり出るの?」とたびたび聞かれていた朝日新聞武蔵野版で
連載されている「中央線の詩」 私もこれまでの記事を楽しみに読んできたひとりです。
今回は三鷹がとりあげられるということで、太宰に関する話が繰り広げられています。
1〜6まできてますが、その5の記事でうちのお店の一部が写真で掲載されていました。
わかる人にはわかる、といったかんじになってましたね。
太宰コーナーのちょうど「フォスフォレッセンス」を見開きで飾ってあるところに
カメラマンさんが例の木のペンダント?(生まれてすいません、のハート型のやつ)を
ひっつけられたようなのですが、私はカメラマンさんが来店された時不在でしたので
一体どうやってひっつけたのか謎のままです(笑)
記者さんが取材には来られたのですが、いつうちの店のことが出るのかは特に
聞いてなかったので、毎朝新聞を開く度にドキドキしています。
まさか、この写真掲載だけでうちの出演は終わり、ではないだろうな?と思いつつ
内心不安になりながらも、読んでます。
太宰ゆかりの場所がどうこう、という過去の話だけでなく、今現在、普段の生活がありながらも
太宰との思い出を抱えられていたり、太宰に関するなにかを続けてらっしゃる方を紹介されているのが
とても良いなと思っています。新聞というものは、やはり「今」を伝えていくものなのだ、
と言う当たり前のことを感じさせられます。武蔵野地区在住でない方も閲覧できるよう
連載が終わったらファイルするなり貼るなりして店内で読めるようにするつもりなので興味のある方、
来店時気軽に声かけてくださいね。

2004年2月1日 日曜日
どーも、ますたーです。
実は今月曜深夜なのですが日曜の日記っつー事で書いちゃいます。
と、言うのも、実は今日横浜まで行ってきまして。
何故横浜かというと、そう、2/1開業の「みなとみらい線」に乗ってきたのです(笑)。
ホントは開業初日に行きたかったのですが、凄い混雑振りだったんで・・。
で、感想ですが、さすが、駅がキレイ。とにかくキレイ。一般人まで写真撮りまくり。電線ケーブルも金色に輝いておりました。
うーん、さすが横浜、見た目はオシャレでキレイですなあ。実用性はゼロだけど(笑)。
あんな設備で客捌けるんかなあ。と、いらん心配をしつつ、新車両にも乗れずじまいで帰ってきたのでした。

2004年1月31日 土曜日
相談されることがしばしばある。
でもすごいわかる。自分の身近な人よりも、よく行くお店の人、くらいの距離の方が
話しやすいたぐいの相談事というのが存在する。
時にものすごいヘビーな内容をさらっと告白されることもあってドキッとするのだけど
たぶん自分の周囲の人間でないからこそふと口にしたくなったのだろうと思う。
口にしたことでその方が楽になれるのなら私はいくらでも聞く。
今日のは前者のタイプで、
「お風呂が嫌いなやつってダメですかねえ」という若い男性の相談事?でした。
「いや、全然OKじゃないの?ハイドもお風呂嫌いらしいよ」と答えてみたものの、昨日のパターンみたいに
「実は僕もお風呂が嫌いなんです」とか「え?ハイドお風呂嫌いなの?」とか他のお客さんが
助け舟を出してくれるような状況にはならなくて・・いや、店内二人だけだったので。
冬は特に寒いし、服を脱ぐのもイヤでついつい面倒になってしまうらしい。
いや、いーんでないの?と。私もついこないだまであんまりお風呂好きじゃなかったし、
ただ女の子からの一緒にお風呂に入ってほしい、といういう誘いを断るようじゃダメよ、とわけわかんない
答えになってしまった。「いやいや、映画の話よ」とごまかしたけど。
「ヴァイブレータ」という映画で、大森南朋と寺島しのぶがお風呂に入るシーンがすごく良かったので
えんえんとその説明をする私。男の人って、普段ぶっきらぼうでも、本能でこちら側の一番してほしいことを
察知する人がいいと思う、例えば一緒にお風呂に入って最初に背中を流してくれる時、
まさにちょうどいい温度の湯を肩から注いでくれたら、もうそれだけで好きになっちゃう
すっぽりとそのまま包み込み一瞬でも夢を叶えてくれる、って最高だと思わない?と私ひとりで盛り上がってしまい
ヤバ、つい興奮してしまった、と思ったらしばし沈黙のあと、「彼女をつくります」ですって(笑)
いきなり一緒にお風呂入ろうか、はダメよ、恋愛には順序があるのよ、なんて慌てて口走ってしまったら
「恋愛の順序?」と。「それはまず今夜ゆっくりお風呂に入って考えてみたら?」とその話は終わった。たしかに順序なんて
あんまり重要じゃないかも。説明が難しいですね、うーん、私も最近は大好きなお風呂でゆっくり考えてみようか
ちなみにどんなに節約生活してても、入浴剤とボディソープだけは毎回こだわって選びます。
お風呂は自分を癒してあげる時間だから大切にしたいのです。っていうか女の子(一応)の基本?

2004年1月30日 金曜日
表の均一本コーナーから「島津義弘」という本を手にお客さんが来店。
「実は私の先祖が島津義弘公にお仕えしてたのよ。それでふとこの本が目に入って
思わずお店に入ってしまったわけなのよ」と話してくださったのだけど、ここでも書いているとおり
私は歴史バカ。その島津義弘のことを何ひとつ知らないから気のきいた一言も出てこない。
でもそのお客さんは、この本に偶然出会ったことがとても嬉しく思われているようで、
終始笑顔で地元鹿児島の話をどんどんされる。 かじきまんじゅうの話になったその時、
その場にいらしたお客さんが「あら偶然。私のお友達は鹿児島のかじきまんじゅうのお店で働いてるんですよ」
なんて言われて、しばし鹿児島の話題で盛り上がりました。
当時の鹿児島は男尊女卑がはげしく、前を歩く男性の影を踏んだだけで問題になったり
洗濯物ひとつにしても男物と女物は同じタライには入れさせてもらえないくらいで、
お嫁入り道具は桶やタライを必ず持っていったもんさ、なんて話も聞けました。
でも実際はカカア天下で鹿児島の女たちはうまくダンナを持ち上げていたと思うよ、とも。
それでも広い世界を見たい、知りたいという気持ちは限りなく、活字には本当に飢えていて、
当時流行した貸し本屋に通ったそうです。お店にあった「ひまわり」のページをなつかしそうにめくりながら
話してくださりました。高校1年の時に当時教師をしていた椋鳩十に国語を教わったのが自慢だそうです。
有名な「片耳のオオシカ」や娘さんのことを書いた「あかねちゃん」とても大切な思いで読まれたようで
私もこれらの本に触れたくなりました。しゃきしゃきと話されたあと、「あ、これから会に出なくちゃ、本日はこれでおしまい」
とさらっと帰っていかれましたが、なんだか動きがきびきびしていて、いい空気感を残していってくださいました。
家の中でじっと読書してる文学少女というよりは、きっと「はい、今日は何時から何時までお洗濯の手伝い、
何時から何時まではクラブ、何時から何時までは読書」というかんじの活動的な文学少女だったような気がします。
私もついダラダラしてしまう時、かじきまんじゅうの少しお酒の匂いが残る味と共に
あの時間を切ってくようなしゃきしゃきしたかんじを思い出して物事を進めていこうと思います。

☆パソコン、調子悪いですがなんとかなってます。このまま壊れずにいけますようにー

2004年1月29日 木曜日
大河ドラマ「新撰組」に関してさまざまな感想をお聞きします。
あれはフィクションなんだし、若い役者さんたちが
皆輝いていてこれからがひじょうに楽しみ、という意見も聞くけれど、
冒頭から史実にありえないシーン(黒船を見るところなど)だったので
がっかりした、という声もある。私はもうこの番組を見ていないのだけど、
「まあこのドラマを見てあらたに新撰組に興味を持つ人が増えるのではないですか」
と軽く答えてしまって、あとでしまった、ということがあった。
新撰組のことをずっと勉強していて、いろんな本を読み、その土地に実際足を延ばし
歴史を検証し続けてきたその人のことを考えてみれば、もうちょっといい答えようがあったかも。
もちろんドラマはドラマなのだけど、真実を残していく努力をしている人たちの苦労もちゃんと頭の隅に
置きながら楽しまなくてはならない。今日、まさにそのことを考えさせられる出来事があった。

太宰を研究しているお客さんと話していて、先日の「永遠の恋物語」の話題になった。
残念な内容だった、と言われていてドキッとした。 美知子さんと富栄さんが一緒にお風呂に入るなんてありえないし
「涙の谷」を富栄さんに言わせるなんて、とんでもない、と。 富栄さんはキャリアウーマンなのに
そこも描ききれてなかった、と。なるほど、と思った。
私も発言には気をつけなくてはならない。たしかにドラマとしてはよく出来ていたと感じている。
意見を翻す気はない。だけど私が手放しで絶賛してしまうようなことを言うと、太宰研究を地道に
続けているような人はがっかりしてしまわれるのでないかと思う。「なんだ、太宰に恋してる、って単なるファッションかよ」
みたいな。映画「ピカレスク」にしてもそう。富栄さんが青酸カリを太宰に飲ませるシーンがあった。
ひとつのドラマとしての感想だけでは足りない。なぜなら初めてこれらを見た人はそれを真実と受けとめてしまうこともある。
史実にしっかりと基づき、またそれが真実なのか?と膨大な時間をかけてさぐってきた人たちの苦労が水の泡になってしまう。
また次の世代の人たちに伝えていくためにも、「でもここは違うよね」と一言でも付け加えておくことが大事だった。
ちゃんと勉強しなくては・・・そう、私が今年やらなくちゃいけないことはなにより勉強なのです。でもイヤじゃない勉強だから良い。
また、こうしていろんなことを教えてくれる先生のような存在が居ることに感謝しよう。でもあの「永恋」を見てじっとりと胸が熱くなった
かんじは大切にしたい。この熱を持って勉強できたら最強なのではないかと。頑張ろう。

2004年1月27日 火曜日
朝、パソコンがなかなか起動しない。また壊れたかー!と絶句していたら
急にキュイーンと動いたけれど、いろんなサイトへ飛べない。
この今日の日記もちゃんと正常にアップされるか不安。
ということでしばらくずっと1月27日のままだったら、またパソコン修理中なんだな、
と思ってください。 店がつぶれたわけではないので(たぶん・・)安心してご来店してくださいね。

ということで、本日の日記は異例の午前中に書いてます。なんかもう、画面がいつ消えてもおかしくないような
そんな雰囲気なので、動いてるうちにアップしとこ、と思いまして・・・
時に、よく知ってる人が店にきてくれた時なんかに
「あんなに濃い時間を過ごしたのに、私のことが日記に一行も書いてないじゃないの!」
なんてメールをもらうこともあったのですが、日記は一日のうちに「あ、一段落した。日記書くなら今」
ってぽっと空いた時間に書くので、昼すぎに書くことももちろんあるのです。
もうその日の日記を書いてしまった後から、すごくおもしろいことが起こる、って場合もあるわけです。
でもお蔵入りになるのは一時で、なにかの拍子にふと「先日もこんなことがあり・・」と出てくるので
大丈夫です。この店で起こったすべての出来事はちゃんと引き出しにしまってありますので、いつ出てくるかわかりません。
ただ、私はほんと物忘れが激しいので、同じこと何回も書いてると思う。でもそれって嘘つきだったらばれますよね。
私の場合嘘というよりとにかく忘れるのです。ついこないだも「服はバーゲンの時にしか買わないと決めている」
と書いたし、実際そう思ってたのですが、「白のライダーズと運命の出会いをしたのはどこの人?」なんて指摘されてしまいました。
そういえばそんなこと書いてましたね。やっす〜い運命ですねー すっかり忘れてました。
そんなわけで、なんとかパソコンが壊れないことを願いますー

2004年1月26日 月曜日
前に「春に天下茶屋へ行きたいんです」と話したお客さんが、山登りの本の「表登山道から三ツ峠山」
というページをコピーしてきてくださった。 私は天下茶屋と太宰治文学碑だけを見れたらあとは適当に
河口湖や富士山周辺をまわろう、みたいな感覚だったのですが、その方は山男ということもあり
てっきり私が三つ峠山を登ることが第一目的、天下茶屋は休憩ついでに寄りたい、という考えだと思われていたようでした。
せっかくコピーしていただいたのでなんとなく悪い気がして、「どのコースにしましょうかね」なんて口にしてるし。
「じゃあ、遭難しても責任持ちませんからね」なんて軽いジョークを飛ばしてさわやかに帰っていかれたけれど、
不思議なものです。そのコースの説明文を読んでいると、なんとなく私の中の山女(とは言わないですよね)
の血がウズウズしはじめました。

 母ノ白滝への道を見送り、カラマツ林をゆるやかに下る。左側がガレているあたりから富士山が見える。 
 カラマツや雑木の中、落ち着いた雰囲気のゆるやかな道が続き、ときどき枝の間から御坂塊、河口湖、西湖方面が望める。(P278文中抜粋)

 観音岩を過ぎ、笹の中に続く道をどんどん下っていく。小さな石仏を見たあと、砂防ダム手前で一度沢に接近する。(P279文中抜粋)

読み進めていくたびに、富士山はもちろんなのだけど、「ガレている」とか「小さな石仏」とかがすごく気になってきて
実際に目にしながら山を歩きたくなってきた。わざとじゃないと思うけど、そのコピーは「一番やさしいコース」が切れていたし(笑)
「富士山には登ったことあるんですよ」と言った時、その山男さんは「富士山に登るより、付近の山頂から見る富士山が最高に美しいのに」
と言われてた。なるほど、ちょっと考えておきましょうか・・・
全然関係ないけど、山小屋バイトはお金貯まるそうです。だって使いようがないから、ですって。山男予備軍のあなた、どうですか?

2004年1月25日 日曜日
ますたーです。
いきなりですが、デジカメ買っちゃいました。
もう凄いです!130万画素(笑)。
いや、今まで使ってたのが30万画素の奴だったんで、想像を絶する程の高画質なんです。130万画素(←しつこい)。
ズームもマクロもついてるんで、仕事に趣味に重宝しそうです。
先ずは、店主に使い方を教えてあげなきゃイカンのですがね。
どっかに撮り鉄しにいきたいなあ・・。
2004年1月25日 土曜日
朝、少し頭痛がしたので、スィートキャロットという100%にんじんジュースと
今ちょっとマイブームなエクレアを朝から食べて気合を入れたのですが、すぐには痛み治まらず。
そんな時立て続けにお知り合いの方が来店してくださったり忙しくバタバタしているうちに
夕方にはすっかり治っていた。というか痛みを忘れていた?
やはり程よく立ち働いてるのが一番身体に良いのではないかと思った。

今発売されている雑誌ku:nel(クーネル)の、松浦弥太郎さんが花巻の高村山荘を訪ねる「そして光太郎を想う」という特集
がとても良かったという声、まわりの人からよく耳にする。私も、とても大切な思いで一行一行読みました。
掃除前の片付いてない自分の部屋で読むのがイヤで、この記事を読むためだけに静かな喫茶店にでかけました。
私もあの「光」を生で見てみたい。 光太郎と智恵子のことも、もっと知りたくなりました。
きっとこの松浦さんの文章を読んで同じように思う人がいるだろうと思って、店のガラス窓辺に「高村光太郎詩集」(新潮文庫)
を置いていると、やっぱり反応してくださった方がいた。それはお知り合いの方でした。
「クーネルを読んでちょうど高村光太郎が気になっていたらふと目に入ったので」って。
ミルクティーを飲まれながら少し読んでみられたようですが「やっぱり いいね」って買っていかれました。
智恵子抄や高村光太郎の詩は高校生くらいの時に一度読む機会があった人が多いのではないでしょうか。
でもこの魂がひたすら自然と共に浄化されていくような澄んだ愛し方は、大人になった今読むと一層深く沁み込んでくると思う。
店の文庫棚に「小説智恵子抄 佐藤春夫 」(角川文庫)があったので、読んでからまた棚に戻そうと思います。

大阪からライブのため東京に来たついでに店に立ち寄ってくれた友人と、「遠いから交通費もかかるし大変なんだけど
ライブ1週間前くらいからの昂揚感や、行きの列車の車窓を見ながらもの思いにふけるときめきはやめられないわよね」
なんて話してると、お隣に座ってらしたそのお方は「わざわざ遠くまでライブに?」とちょっと興味を示されたようで
しばし旅の話で盛り上がりました。私も2月にハイドさん(お!久々登場)のライブでわざわざ新潟まで行くことを言うと
大雪で帰ってこれないようなことがないように、と心配していただいた。そう、そういう肝心なことちっとも考えてないし・・
全国の美術館や建築物にとても詳しい方なので、新潟でどこかいいところありますか?とお聞きしてみたら
谷村美術館(その方のHPのページでこの美術館がとても詳しく紹介されていたのでリンクさせていただきました。)
を教えていただきました。あとでこちらのページを見たのですが、写真だけでもすごく圧倒された。
是非行ってみたくなったのだけど新潟市内から少し距離がある。 蕗谷虹児記念館か佐渡かこの谷村美術館か
どれかひとつくらい行きたいのだけど・・・まああと1ケ月ある。おおいに楽しみながら悩もう。ああ、旅はいいなー もう始まっている。

2004年1月23日 金曜日
この前家族連れで来店されたとき、
「お正月終わっちゃったね」「でも次は節分があるよ」
って親子で話されててなんだかほっこりしたのだけど、
今日はお客さんに「お正月が終わって日常に戻ってしまってなんだか毎日憂鬱で仕方ない。
まず朝起きるのがつらい」とちょっと疲れてるみたいな大きなため息されてる方がいた。
気のきいたことも言えず「そういうもんですよ、でもまた来年の正月に近づいてますよ」
くらいしか言えなかったけど、なんかお茶一杯飲んだらちょっとスッキリした、空は青いし、日本は今のとこ平和だし、
とつぶやきながらレジへ来られた時は背筋がしゃんとされていた。
そのあと来られた方は「仕事でちょっと失敗してしまってへこんでる・・」って。今日は悩みがあつまる日?
介護関係のお仕事なので、ほんのちょっとした失敗も生命にかかわるのでほんと気をはりつめないと・・って。
またそのあと来られた方は悩み、というのではなかったけれど、ガン治療に苦しんでいる家族を、玉川温泉に連れて行って
あげたかったのに、そのために必死に仕事してたらもう時すでに遅し、ということになって、と。
玉川温泉というのは先日もお客さんから聞いたのですが、秋田県にある北投石のある温泉で、ガンが治ると話題の温泉らしく
数々の出版物も出ているらしいのです。今日はなんだかそんな深刻なお話ばかりお聞きした。
自分なりに言葉をかけるんだけど、まったく答えになってなくて。口にしただけでも少しは楽になれてくださってるといいけど。
私自身も、1月は1月31日までお正月モードなんだ、なんて言ってて(正確には私の中ではかくし芸の再放送が終わるまでがお正月)
年末までにやります、なんて言ってた目録整理なんかも結局伸びてるし。まあがんばりすぎなくていいか、休みは休もうって思ったり。
でもこういうこと言うとなんだけど、悩みを口にする人たち皆眩しい。日々戦ってる人は美しいもの。
お店に居るのが大好きで接客も本触るのもコーヒー淹れるのもほんとに楽しい。でも忙しい店じゃないのでヒマな時
居心地良くてついつい楽な方へ流れてしまう。もーちょっと戦おう。
悩みをすべて打ち明けてしまうのでなく、ほんの入り口だけなら口にしてしまうのは、いいんじゃないでしょうか
口にしながら自分の脳がその声を聞き、解決の糸口が見つかることもあるだろうし、第三者の答えというのはたしかに心強い。
私も朝が苦手だったけど、「布団からはっと起きてしまって、冷たい水で顔をバシャバシャ洗えばもうスッキリ目が覚める」
っていうお母さんの言葉を思い出して毎朝そうしてる。第三者のシンプルな答えって時にずっとその人の中に残ってく。
だったら私も残る言葉をもっとこの店で人に伝えていけるように、毎日平坦に平和に生きてるだけでなくもーちょっと戦っておこう。

2004年1月22日 木曜日
昨日は街に出て、いいことが次から次へ起こったとてもいい一日だった。
まず久しぶりに服を買った。無駄遣い厳禁なのでバーゲンの時期しか服を買わないと決めている。
でも秋のはじめのあの、洋服屋さんが素敵なコートやふわふわもの系であふれる
一年でもっとも魅力的な時期に服を買いたい欲を押さえるのは正直大変だった。
でも我慢した分ほんとにトクした。9800円のコートが2300円になってた。
しかも試着するとめちゃめちゃ可愛い(自分で言うなって。コートが、ですからね)
また店員さんも「素敵ですよ」とか誉めまくってくれると営業トークとはわかってるんだけど、やはり嬉しいもの。
いくら貧乏でも年に二度くらいは試着して鏡の前に立ち、いいじゃん!っていうこのかんじは女として
味わっておきたい。で、「買います」とピシッと言う時の緊張感もいい。
たった1枚服を買っただけで、また夏のバーゲンの時期までなんとか頑張って乗り切れる!って気分になれるから不思議。
あとは適当にウインドーショッピング。可愛いものをいっぱい見てパワーを充電する。

情報に基づいて探したのでなく、偶然に出会った本というのはその後ずっと印象深いものになる。
ブルースインターアクションズ発行の沼田元氣さんの「ささやき」という本、見つけてしまった。
この手の本はたいてい発売前からチェック済なのですが、最近すっかり情報にうとくなってしまった。
でも今年はあまり情報ばかり追いかけないようにしようと心に決めたところなのでいいのです。
時間の使い方だけは昔からまったく上手にならない私、最優先のことに手がつけられていないって
どんな時も常に思ってた。そこからちょっとやり直してみたいと思って。それにこういう知るべき本は
本屋さんに足を運んだら、本の方から呼んでくれると信じてる。そういう匂いにだけは敏感でなきゃ。
「美しく年をとる為の少女の手帖」という副題がパッと目に入り、あとはただただ本の魅力にひきこまれた。
自然にレジへ行ってた。このかんじは久しぶりでした。特殊和とじの凝ったつくりの宝物みたいな本。
すずき大和さんの絵がとても良くて、文字どおり「かあいらしい本」。
沼田元氣さんの少し前のインタビューに、本との偶然の出会いについて触れていて、今の私にはぴた、ときました。
また、古本は買ったあとで、コーヒーをこぼした跡がついたり、自分の汚し方で汚して
古くなればなるほど美しい古本に養本する、ようなふうにも語られていて、うんうん、と思った。

2004年1月20日 火曜日
芥川賞受賞で話題の綿矢りさちゃん、愛読書は太宰治だというのもみんな知っている。
彼女の「インストール」を窓辺に置いていたら、この本をちょうど欲しかったので
今日初めてお店に入ってみた、と若い男の子が来店しました。そこらのタレントさんより
めちゃくちゃ可愛いので、彼女の書いたものを読んでみたいので買うことにします、と。
若い人が文学に関心を持つきっかけ、の具体例がここにあるよー!
りさちゃん、うちの売上に貢献してくれてありがとー!と、ふだん文学なんか縁がない子が
本を買ってくれたと思ってたら・・・全然そうじゃなかった。それから19だというその男の子が
機関銃のように話しはじめ、今どきの若ものの世界というものを垣間見ることができた。
なんとなく雑誌の小説募集記事に投稿してみたら一次、二次とどんどん残り、こんな簡単でいいの?
というのが彼の現状だという。太宰の「人間失格」はケータイでダウンロードして読んだらしい。
しかし彼の好む文学はいわゆる「ライトノベル」というやつとか。私は正直そちらの方は全く
読んだことないんです、と言うと、21世紀の太宰治と呼ばれているらしい滝本竜彦をおすすめしてくれました。
あと、「ギャルゲー」のすばらしさについてしばらく語ってくれました。もう熱い熱い。
私はゲームすると頭痛がするくちなのでまったくわからない世界なのですが、
あまりに彼が絶賛するので一回くらいやってみてもいいかな?という気になりました。
その様子を見破ったのか、貸してくれるとまで言うのです。もう絶対泣くから、って。え?ギャルゲーって涙が出るの?
「普段泣くことなんかエロゲーする時しかないですよ」って。今どきの若者クンだねー、
しかもいつのまにか「ギャル」が「エロ」になってるし(笑)「あ、ただ泣くとこまでいくのに20時間くらい時間を要しますよ」 
絶句。ゲームってそんなに時間がかかるものなの?「無理。。。」と一言お返事しました。
そんな彼が今までに唯一読書で泣いたのは「アルジャーノンに花束を」ですって。ふーむ・・・
これが第三世代というものなのでしょうか? しかしおもしろかったから許す。
綿矢りさちゃんの愛読書は太宰らしいよ、と言うと太宰の文庫も追加して買ってくれたし
すべてりさちゃんのおかげ、ありがとう!

2004年1月19日 月曜日
昨日やっとビデオ録画していた「永遠の恋物語 さっちゃんの初恋」見ました。
私はかなり好きでしたね。最近見たドラマの中で一番良かった。
あまり予備知識なく見た人からは「太宰治ってひどい男ね」って意見が多くでてるかもしれないけれど、
ここでことこまかに触れていたらきりがないので、私の個人的な感想だけさらっと書いておきます。
まだ一度見ただけなんですけど、「富栄」というよりより「さっちゃん」として強い印象を与えたこと、
画面の照度と小道具、そしてキャストが良かったと思います。
伊藤 淳史出演のドラマにはずれはない、という持論がまたキープできた。
やはり恥ずかしながら、私はカタチから入る人なので、「メガネ」をかけて恋愛をする世界というものに
興味が湧きました。キスする前にメガネをはずす、ってどんなかんじなのか知らないから。
全然関係ないけどみうらじゅんが、女性とデート中にサングラスをはずすと「いよいよなのね」と相手に悟られて
照れる、みたいなことをなにかで読みました。だからゴルゴ13はサングラスをしてないんだ、とか言ってた。
っとまた話がそれましたが、好きな人に自分の名前とは関係ないところから突然名前をつけられる、
二人だけの呼び名にしていたのが、気持ちが溢れ出してついつい他人のいるところでもどんどんその特別の名を呼ぶ、
このかんじはたしかに女にとって気持ちいいものなんですよ。
もっともさっちゃんは人前では太宰のことを「修ちゃん」とは呼べなかったでしょうけどね。
あ、太宰といえばお客さんから情報いただきました。
太宰作品の映画化が進行しているようですよ。年末ごろ公開になりそうだとか。
その作品の中に「ヴィヨンの妻」があった。好きな作品だし、監督さんが私の好きな映画のひとつを撮ってる人だった。
かなり楽しみです。太宰役がやはり一番気になるところですね。「永遠の恋物語」の太宰役の俳優さんも良かった。
私は好きになりましたよ。とはいってもりょうさんが一番印象深いけど。来週のフリーダカーロについても見てみようと思う。

2004年1月18日 日曜日
どもども、ますたーでございます。
いや、昨日は寒かったですな。
実はウチの店、レジ近辺の底冷えが凄いのです。
で、ちょっと我慢が出来なくなったので近所のコジマに行ってみたところ、1,280円の電気ストーブを発見、そんな訳で、早速店主と協議、
代金折半の条件で購入してみました。
スペースが無い店なので足元にストーブを置くのはちょっと怖かったりもするんですが、これが非常に暖かく、早速重宝しております。
閉店後の作業の時とか、これがあればエアコンもいらないなあ・・、って訳で、多少は電気代も節約できるかな、等と思ったりもして。

2004年1月17日 土曜日
東京ではいいかんじで雪が降りました。
デジカメではらはら舞う雪の画像をアップしようと思ったのですが、
肝心の雪がまったく写ってませんでした。残念・・ちょっと真っ白さが足りなかったようで
でも初雪らしい、ひかえめな処女(ヲトメと読んでください)のような雪でした。
ご年配のお客さんが来店された時、「雪がきれいですね」と言うと
「でも乾燥したかんじの雪なのであまり嬉しくない。雨が降ってほしい
このところずっと乾燥してるから私ら年寄りはこのところ毎朝、足腰が痛くてしょうがない」って。
そうか、冬の朝はやっぱりいいことばかりではないですね。
私はおばあちゃん、おじいちゃんは遠く離れた奄美大島にいたので今までの人生、お年寄りの方と生活する
ことはなかったのです。学生時代、家におばあちゃんのいる男の子って思いやりがあっていいな、と感じたことが多々ありました。 
そういう人たちはたいてい生活の知恵にあふれていて、とても眩しかったように記憶しています。

今住んでるアパートはほんとに寒くて、でも狭いので京都時代からずっと使ってるシングルベッドを2人分の寝床にしてます。
電気毛布とかもないのですが、私が実家大阪で生活していた時からの冬のおとも、もう20年以上使ってる電気おこた(こたつでは
ないです)を足元にあてて寝ています。 おこたのスイッチはどちらからともなく、夜毎自然についている。
今日は1月17日、当然阪神大震災のことを考える。
ふと目にした記事で、となりで寝ていた家人の苦しそうな声が消えていく、というのがあって
そんな大切の人の最期をすぐ隣で感じ、生き続けていく人のことを想像してみた。というかうまく想像できなかった。
私たちの場合は同じ空間で寝てるからその時は一緒かもしれないけど、時間差で生き別れになる可能性もある。
正直今はまったく想像できないけど、震災は実際突然やってきた、確実に人と人を引き離す。
これからは自分のためだけにおこたのスイッチを入れる、という現実だけが残るだろう。
今日読み始めた「朝の悲しみ」は夫人を亡くした追懐というタイムリーな内容だった。想像できる喪失感と同じくらい、
いやその何倍もの愛情を家族に、大切な人に、注げるだけ注ぎたい。なんでもない普通の日々のすごさをちゃんと感じていきたい。

家族連れのお客さんが見え、男の子が「窓がくもってるよ」と言うと
「これはね、水蒸気がね、」と科学的な言葉も交えながらお父さんが説明していて微笑ましかった。
お店はいまひとつヒマでしたが、今日という日にそんな家族のなにげない光景が見れて嬉しかった。

2004年1月16日 金曜日
雲ひとつない真っ青な空がただ広がる冬の朝。絶対富士山がくっきり見えてるだろうと陸橋へ行った。
やっぱり朝は冬が最高。もちろん夜も星がきらめいて素敵なのだけど
寒いのが嫌いと言いつつも特に今年は冬のすばらしさをいつも以上に感じています。
冬の朝は空気が澄んでる、ただそれだけでまるもうけだと思うし、
冬の朝こそ強く陽射しが差しこんでくあの暖かさに感謝できる。「入射角」っていうんでしょうか

おじさまのお客さんが朝一番に来られて、今話題の「負け犬の遠吠え」について話す。
さすが広い情報をチェックされてますねー、と感心すると
「AERA」で「負け犬の遠吠え」の著者酒井順子と「結婚の条件」の著者小倉千加子の対談が
掲載されていたので興味深く読んだんだ、とのこと。
「AERA」と「週刊現代」は欠かさず読んでいる雑誌だそうで、「週刊現代」の方での酒井順子の連載が
なかなかおもしろいので今回の記事にも目がいったんですって。
「仕事をバリバリこなし地位があっても未婚、子なしの女性は負け犬である」という定義について少し
話し合いました。私は自分が勝っていると思おうと負けてると思おうと、
自分に欠けていると思っているものを欲しいものは欲しいんです、って正直に言ってる人が好きですね。
私自身もこの「AERA」の特集、興味深く読んだのですが、
カリスマ子持ち主婦オーナーが経営するオリジナル子供服の店に行列をつくって並んでる人たちが
一番幸せなのかも、実際に勝ち犬と見られているオーナーは注文殺到の対処に追われ安らぐ時間さえないよう、
みたいな意見を読んで、なるほど、と思いつつも自分のつくったオリジナルな子供服が指示され、
注文殺到するなら最高じゃん、ひとり勝ちじゃん、って思ってしまいました。
「売れる」ということはすごいことなのだと、自営業になって初めて痛感しましたからねー。
ちなみにお客さんいわく「週刊現代」に最近「抱きたい女性ベスト20」みたいな記事が載り、第一位は黒木瞳だったそうな。
女優として輝いていることはもちろんだが、ちゃんと結婚して子供を育ててる堅実さが良い、というのが理由らしい。なるほどねー
「負け犬」談義をつい先日もした。私は、負け犬願望でソンしてるのでは?と言われた。たしかに。
清潔なカントリーキッチンやいい匂いのするリネン、ソファ、そんなものより安アパートでせんべえ座布団に正座して
文庫本読んでる絵の方が憧れちゃうんだもん。そのくせ自然の中に別荘欲しいとか言い出しちゃうから自分で自分が手におえんのですが。
まあどうなろうと世間がなんと思おうと「自分好き」なのが一番の勝ち犬なのかもしれませんね〜 
ただし周りに迷惑かけないようにしなきゃね、はい。

2004年1月15日 木曜日
お客さんが昭和48年の講談社文庫「アカシヤの大連」清岡卓行著を
「良かったらお貸ししますよ」と持ってきてくださった。
その中に「朝の悲しみ」が収められていたのでした。
買取させていただけるかお尋ねすると、自分にとっても特別な本のひとつなので
今回はお貸しするということで、とお答えになられました。
「朝の悲しみ」以外の作品も、夫婦の愛について考えさせられるものもあるので
よろしかったら読んでみてはいかがでしょう、とも言ってくださったのでそうさせていただこうと思います。
そのお客さんは、原口統三の「二十歳のエチュード」に感銘を受けてアフォリズムに関心を持ち
当時原口が一番親しかった清岡卓行にも興味を持ったのがこの本を読むきっかけになったそうです。
私も最近読みたい本の輪が広がっていくのが楽しくてたまらないツボにはまっていて、
自分自身が本を探す側の過程の醍醐味を味わえて幸せです。
「探している本リストノート」がうちの店には「フォスフォレッセンス掲示板ノート」と同じ棚に置いてあって
オープンにお客さんも自由に見れるようにしているのですが、「入荷済」って書く回数をもっと増やしたいですし
実際お客さんがとりに来られて本を手から手へお渡しする時のお客さんの目線が本の表紙に落ち
顔色がパッと輝く瞬間はもっと嬉しいですからね。お探し本の入荷をお待たせしている方が多いのは事実です。
来店されたお客さんがその「お探し本リストノート」を見て
「あら、この本ならうちにあるわ、もう読んだので探してる人がいるなら譲ってもいいわよ」なんて話になって
買い取らせていただく、なんてことが増えると良いなと思う。

今日、窓ガラスに飾ってあった本を買われたお客さんが、
「この窓辺を見るのをいつも楽しみにしているんですよ。不思議と私の好きだった本ばかり並ぶんです」
って瞳を輝かせながら言ってくださって、嬉しかったなー。
「朝の悲しみ」はやはり頬に針刺すような冷たい冬の朝に読もう。 明日なんてなかなかいいのではないかな
白い雪が散らつくかもしれない、そんな朝に

2004年1月13日 火曜日
読みたい本が2冊出来た。
清岡卓行の「朝の悲しみ」と、舟越保武画文集「巨岩と花びら」
調べてみるとどちらもおとなりの三鷹市立図書館には在庫ないのです。
「朝の悲しみ」については、今日来店されたお客さんが
小説というものを読んで一番心動かされた1冊、と言われていたので
とても読みたくなったのでした。
昨年の夏ごろ、しばらく山にこもります、って言われてたお客さんが
山を降りて久しぶりに店に顔を出してくださったのです。
てっきり夏の間だけだと思っていたらつい最近までずっと山だったらしい。
その方と話していて、自分の底の浅さがあらわになったことがあった。
私も旅好きということで、まだ訪れていない妻籠や南木曽、尾瀬などいい場所を教えてもらいながら
信州がすごく好きだという話になり、「どこに行ってみたいですか?」と聞かれて
「ヴィーナスラインをドライブしてみたい。ずっと叶ってない夢なんです」と答えると
「ヴィーナスラインなんて僕からしてみると環境破壊の象徴でしかない」って。チクッときましたけど
「私ってほんとにメルヘンなのでやっぱりいつかドライブしたいという思いは変わらないけれど
その言葉聞けて良かったです」って答えるしかなかったですね。
物事を浅い角度からしか普段見ていないからこうなる。それはちゃんと反省したい。
どこかが潤えば影でこわされてくなにかについて、何もできなくともせめてその痛みを想像できる自分でいたい。

「巨岩と花びら」は、昨日読んだ車谷長吉の「忌中」に出てきたのがきっかけ。
絵をやってるお客さんが来店したので聞いてみると、舟越桂のお父さんですよ、たしかクリスチャンだったかな
と教えてくださった。読みたい本が増えて簡単に手に入らないと少しがっかりするけど、
容易に手に入らなかいからこそ心に長くその本を探す気持ちが残るのはいいことだ。静かに巡りあいを待とう。

2004年1月12日 月曜日
成人式の本日、店はヒマでしたねー、
店の前を例のごとく振袖姿のお嬢様たちが何度も通り行き
いい目の保養になりました。袴姿の男の子もいたなー、スーツもいいけど
袴の似合う男の子っていうのもいいですね。でも成人式で袴だったら似合いすぎてるより
あと一歩で完璧、くらいな方がかわいいかも。ちょっと裾を直してあげたりしたいじゃないですか。
その時の対応がその人の点数になる。今夜は居酒屋で皆盛り上がるのでしょうね、若いっていいなー

昨日やっとビデオ録画していた大晦日の紅白歌合戦を見終えました。
いいと思ったのは女性ではaikoの「えりあし」と天童よしみの「美しい昔」。
この2曲は実際泣けました。「美しい昔」については年始に大阪でタクシーに乗った時、ラジオから
なぜ天童よしみが、この20年前のNHKのドラマ「サイゴンから来た妻と娘」の挿入歌を
歌ったかについてのエピソードをパーソナリティーがことこまかに語っていて、とても印象に
残っていたこともあり、思いいれ深く聞けました。
男性でいいと思ったのは、ちょっと番外編だけど松井選手。はじめて松井をかっこいいと思いました。
服装がダサいとか言われてるらしいですけど、紅白で時々うつる松井はシンプルなグレーの
タートルネックを着ていたんですよ。で、厚い胸板がこう、くっきりと目立っていたんです。
それがすごく良かった。で、実家のコタツで松井、母、父、ってかんじでちょこんと座ってたんです。
新鮮でしたねー、世界に羽ばたく松井がコタツで丸くなってリモコン持ちながら画面に手を振る姿、
きっと紅白より裏番組をじっくり見ていたに違いない。ずっと手振る時リモコン持ってましたもん。
裏番組でエキサイトしながらも、「松井せんしゅー」と呼びかけられたら笑顔で手を振る。いい人や〜
あの姿に、「来年はあのコタツの松井の隣に座ってみせる。お母様とお父様が2階へあがったそのあとは
あの胸板にすっぽりと埋もれながら一緒にリモコンいじいじし、まったり年を明かすのだ!
いずれはお父様のようにCDデビューも果たすのだ!」と野望に燃えた女子が居るに違いない筈。
って松井って独身でしたよね?

↓例のごとくますたーは列車の内部とかしか見てないけれど、私は車掌さんしか見てない(笑)
なかなかいかにも「坊ちゃん」って雰囲気のいい男ぞろいでしたよ。制服がまた、もーかっこいいの!
胸板なんてどーでもよくなっちゃいます、胸板はこたつでこそ輝くのです。普段は隠れてる方がやっぱいいのです。はい。

2004年1月11日 日曜日
どもども、新年明けましておめでとうございます。
ますたーでございます。
えーと、店主の日記にもある通り、年末年始と松山へ帰省しておりました。
お目当ては勿論、伊予鉄道の「坊っちゃん列車」です(笑)。

で、例によってパチリと。
LRT”リトル・ダンサー”との2ショット。こちらにも乗りたかったんですが、タイミングが悪く乗れずじまいでした。残念。
それにしても人力転換なのか! 凄いぞ伊予鉄、何考えてんだ(笑)。実はこの後客車も人が引っ張っておりました。イカス!

明治時代の車両を忠実に再現といっても、そこはそれ、中身はハイテクだったりします。ディスプレイ付き運転室。
ちなみにこれ、一応、ディーゼル機関車です(ギミックとして煙は吐きます)。
(乗り心地に関してはまさに明治の車両といった趣きでございました^^;)

ついでに、帰りに京都に立ち寄って、阪急電鉄の新型車両、9300系にも乗ってきたんですが、こちらはちょっと写真には撮れませんでした。
ま、そんなところで、ますたーの鉄ヲタ日記でございました(汗)。
2004年1月10日 土曜日
今日は真面目に太宰情報など・・・
年末にテレビ雑誌でチェックしていたというのにお正月が非日常だったので
すっかり忘れていたことを友人がメールで思い出させてくれました。
1月16日(金)21時〜テレビ朝日 「永遠の恋物語」
この番組は壮絶な男女の恋愛エピソードを一流の脚本家と俳優による再現ドラマと貴重な映像で
紹介する1時間枠の新番組のようですが、その第一回放送のテーマが「太宰治と山崎冨栄」なのです。
その友人の好きな俳優さんが太宰を演じるということで、情報をいただいたのでした。
ちょっとタイプ的には太宰役にピッタリというかんじではないかもしれないようで、でもそこがまた興味をそそります。
なかなかおもしろそうな予感。第二回以降も是非見ていきたいと思います。

太宰作品の朗読を続けられている長田さんが来店し、「安田屋だより」を持ってきてくださいました。
これは太宰が「斜陽」一・二章をを執筆した沼津の安田屋旅館が年2回発行するものです。
太宰コーナーの資料のところに混ぜておきますので興味のある方は見に来てくださいね。
ここにもいつか泊まってみたいのです。とりあえず今年は天下茶屋に行くことが目標なので
安田屋旅館はお店の3周年記念の慰安旅行の候補にしておこうかな
「沼津桜桃忌」というのもあるそうで、今年は6月13日(日)にここ安田屋旅館で行われる予定だそうです。
長田さんも過去に参加したことがあるらしく、お話を伺うと、昔は若山牧水ゆかりの場所、千本松原で行われた
時に自分も参加したことがある、とのことです。千本松原は行ったことあるけれど、そこで桜桃忌が行われてたなんて
全く予想もしなかったです。「沼津の人は、沼津が太宰治を育てたと言っているよ」と言われてました。
たしかにいくつかの作品に登場もいているし、沼津で初代さんと暮らしてたこともあるんでしたよね。(ウラとってないので
誤ってたらすいません)長田さんに16日の「永遠の恋物語」で太宰のエピソードがとりあげられる話をすると
とても興味を示されたので良かったけど、脚本あってのドラマということで、もしかしたらディープな太宰ファンは
期待を裏切られるようなこともあるかもしれないですね、とも言ってみたら
「いや、いいんですよ。まずとりあげられて興味を持つきっかけになることが大切なんですよ」ですって。
この方のこういう頭の柔らかさが80歳を過ぎてもいきいきと健康な身体でいられるコツみたいなものなのかしら、
私もいつまでもたとえ半分少女でも←しつこい 柔らかアタマでいたいなと思ったのでした。

2004年1月9日 金曜日
昨日、今日とけっこう忙しかったです。
たくさんの方が「お正月はどうでしたか?」なんてかんじで来てくださって
嬉しかったですね。 古本好きのあるお客さんなんて入っていきなり
「なにかでものにはめぐりあえましたか?」って。
「え?でもの?」なんてまぬけな答えしてしまいました。
「ああ、でものですか、それがですねえ」なんてかんじでお互いの正月の収穫についての報告。
松山のある老舗古書店が閉店80%オフセールをやってた話をすると、
そのお客さん、もう夜も眠れないなんて言ってました。松山だしいい俳句の本が安く手に入ったかもしれない
と思うともう・・・って。もしまだセールが終わってなければそれだけのために松山に飛んでいきそうな大きなためいきされてました。
そうそう、昨日の朝日新聞の夕刊に「神田の古本屋なぜか増加中」って見出しの記事が載ってましたよ
って言われていて、気になっていたらそのあと来店されたお客さんが
「興味がありそうなのが出てたよ」ってその記事を持ってきてくださいました。感謝。
脱サラ、転職、移転などで神田で古本屋をはじめる人が増えてきたらしい。店の賃料も一時期より安くなったのが
追い風となってるとか。ひとつの店舗を本棚で区切ってふたつのお店にしているとか、なにかしら工夫されているみたいです。
ここのところたしかに新しい古本屋ができた、って話をよく聞きますしとてもいいことだと思う。
あとはうちを含めていかに存続していくか、ですよね。うーむ、努力していかなくては。
なつかしい友人に会ったりすると皆「東京でお店出してすごいじゃん」と言ってくれる人も多いけど
誉めてほしい、認めてほしい人に限って「で、売上は?」と厳しく突っ込んでくる。数字を打ち明けると
「それじゃダメだよ」って返ってくるんですよね。そういう厳しい人たちに「やるじゃん」と認めてほしくて頑張る自分もいる。
よく「いつくになっても頭の中は少女のまんま」とからかわれる私ですが、認めてもらったうえで少女だったらアリかな、と思うので。
今は三十路後半ながらまだまだ半分少女(by キョンキョン)です。ってなつかし〜。現キョンキョンがこの曲をキュートに歌うのアリですよね
と思って出だしから口ずさんでみたいけど・・・やっぱOUTかな、だって歌詞がバリバリ処女の世界なんだもの
とちょっと正月早々飛ばしてしまいましたが、売上あげたいです、ということで今日はこのへんで。

2004年1月8日 木曜日
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
いやー、長く休んでしまいましたねー。でもその分ものすごくリフレッシュできたし
最高のお正月を過ごすことができました。すべてが計画通りに進み、もう完璧。
パズルがピタッとはまったかんじ。
と私が言ってるかげで迷惑かけた人がもしいたらすいません。
夫の実家松山、やはりいい街です。坊ちゃん列車に乗っても「ちょっと一句どうでしょ」みたいな
紙を乗車客に配ってたし、俳句ポストが普通に商店街のつきあたりとかにあるし、あ、写真撮るの忘れた
高畠華宵大正ロマン館はあるし、のんびりしていて風情ある、いで湯と文学の街。また一層好きになりました。
今回の発見は大正ロマン館。人気ない山奥みたいな場所にあるのでとても静か。ティールームもあるし
自称乙女の人は絶対行くべきです、ここ。 あと、松山にも素敵なカフェがたくさんあって、私がカフェ好きだから
家の方たちがいろいろ連れていってくださってケーキばかり食べてたような気がする。
家族全員でカラオケにも行ったんですけど、こういう時にもアニソン連発するますたー、ええんかいな・・と思いきや心配無用でした。
アニメ大好きなのは血だったようです。そこからえんえんとアニソン大会、映像はずっとアニメの名シーンが流れていたのでした。
私といえば、迷ったあげく「いい日旅立ち 西へ」を皮切りに選びました。東京からフェリー経由とはいえ四国へやってきた
のですから「西へ」というのがぴったりか、と思いイントロで解説までつけたのに
♪日本のどこかに私を待ってる人がいィるゥ〜♪と情感たっぷりこめて歌ったのはいいが、「はっ!」
と焦りました。「あんた、もう待人隣におるんちゃうんかい、まだ探すんかい」みたいなつっこみがきたらどうしよう!なんて
ちょっと考えすぎでしたね、はい。でもあんまり気を使うことなくほんとに楽しめましたよ。また行きたいですね。
今度は松山城に行ってみたいです。松山に行って松山城に行ってない、というと城マニアのお客さんに「言語道断!」言われるんで(笑)
帰りはいつもどおり18切符で気ままに途中下車したり地元の友達と遊んだりしてゆっくりと東京へ帰ってきました。
山梨でほうとう食べたり鎌倉で鎌倉キネマ堂ブックカフェにお邪魔したりして。ブックカフェ、いい場所にありましたよ。
通り行く人が「あら、こんなところに映画館が出来たの?」とか言ってた。目立ってたなー 映画好きな人を連れてってあげると喜ばれそう。
思ったとおりの雰囲気のいいお店だったのでまたゆっくり訪れたいです。あれくらい客席があるのが理想だな〜
うーん、勉強になった。この正月休み、とことんリラックスしてる中でも学んだこと、いっぱいある。今年は頑張りますよ、私。
ある決心もついたし。そうそう、おみくじ引いたら大吉でした。しかーし待人来らず、になってました。
これ私もう結婚してるからいいけど、年頃のお嬢さんだったりしたらえらく気にするんじゃないかな?と思う。
「大吉」の文字見てひゃー!と飛び上がったはいいが、待ち人来たらず、ってちょっとずっこけるわ、ってかんじで。
ということで日本のどこかに私を待ってる人がいる、としんみりしてる場合ではなく、どんどん店に人を呼んで
「日本のどこかから私に会いにくる人がいる」という一年にしなくちゃな、と無理矢理まとめさせてもらいました。
待ち人きたらず、でも大吉。ならばこっちから行ってやれ、と。 あれ?ちょっと違うか ま、いいや。○相場 売れ 大利益あり になってたから良し。
とにかく今年は攻めよ、攻め。というわけでどうぞみなさまお店に来てくださいね。


松山高島屋で見た坊ちゃんとマドンナのローズちゃん


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